ヒマラヤ聖者生活探求

第十四章 元素の創造と転換・物質の変性と生命     第三巻
『着いてみると、われわれの入ることになっていた宿舎に、十二人の人がひとかたまりになって座っている。わたしたちが近づいてゆくと彼らは起(た)ち上がり、宿舎の主(あるじ)が挨拶に寄ってきた。この一団の中にわれわれは、何と、イエスが立っておられるのに気づいた。誰も一言もいわず、それらしい素振りもしないのに、われわれの中からウェルドンが、両手を差し伸べて、やがて歓声をあげて走り出し、「ああ、分かりました。貴方様です。ああ、この瞬間こそ、わたしの全生涯での最も聖なる瞬間です」』
 エス法話
 『今の沈黙の中で、わたしの語りかける父、わたしの裡(うち)にまします父なる神は、すべての人々の中に在(ま)しまし、すべての人々が語りかけることのできる、愛の父なる神と同じであることを、わたしと同じように親しい気持ちで知って欲しい。
 ひとすじの不可思議なる栄光が心琴(みこと)(参考:「琴線に触れる」とは、物事に感動しやすい心を琴の糸にたとえたもので、良いものや、素晴らしいものに触れて感銘を受けることの意味。)をサッと過ぎれば、それは至純にして神性なる生命と振動する。その音の余りの純粋さに、待ち設(もう)けていた沈黙(しじま)も止(や)まり、いよいよ心熱く耳を傾ける。あなた自身の大いなる智慧のある者の指があなたの手に触れれば、その柔らかき触感はしばしそこにたゆたう(ゆらゆら揺れる)。その声は常のごとく、父なる神の大いなる栄光かがやく愛についてあなたに語る。あなたの声があなたにこう語っている、『あなたはわたしと共にある。あなたとわたしとは共に神である』。今や神のキリスト・神我が現われたのである。では、あなたたちはすべての制約を打ち消して、霊においてわたしと一緒になるがよい。今わたしがあなたたちに与(あた)える以上の大いなる思想が嘗(かつ)てあなたたちに与えられたことはない。そんなことができる筈(はず)がないと人々が言(い)おうと、それは問題ではない。丁度、わたしがすべてを征服したのをあなたたちが見たように、あなたたちの一人々々(ひとりひとり)が今やすべてを征服し、完全に支配する聖なる主(しゅ)となったのである。時は今、此処に満ちている。あなたたちが聖なる主(しゅ)に放送した純粋な思念が満たされて、あなたたちの体に実ったのである。かくて魂は完全なる支配権を得たのである。あなたたちはわたしと共に、天の高みに駆け昇るのである。わたしたちは自分の体を高揚し、遂にその輝く光を純粋白光の光炎と化す。その時のわたしたちは共に父なる神に回帰したのである。わちしたちの父なる神は純粋の光であり、この振動する光からありとしあらゆるものは出てきたのである、この波動の中において、すべては神とともに在る。これらの振動する光の放射の中にあっては、すべての物質意識は拭(ぬぐ)い去られ、あらゆる被造物が形なき者より放映されて形あるものとなり、すべてのものが各瞬間毎に新しいものとなるのが見える。太初(はじめ)の宇宙、即(すなわ)ち水様(すいよう)原質(げんしつ)、即ち神なる質料の中には、一切が存在している。その故に振動はきわめて高く、何人(なにびと)にもそれは見えない。われわれの大師といわれる者のように実相(じっそう)・神我の中にあるのでない限り、人は自分の体のバイブレーションを実相のバイブレーションまで揚(あ)げる努力が必要である。
 さて、あらゆるものの創造が四六時中行(おこな)われている。それは創造が、大宇宙の中で発生した宇宙光のバイブレーションの放散によって起こるからである。この放射するものが大普遍生命、またエネルギーであって一切を支えており、放散、又は振動(バイブレーション)の父といわれるのである。逆にそれは、他の一切(いっさい)の放散又は振動を粉砕するが故に、レディエーション(放射)又はバイブレーション(波動)の父といわれる。実際には粉砕はするのではなく、或(あ)る形態を実現するために、他の放射または振動を除(よ)けておくだけである。
 われわれの体が、大霊のバイブレーションに同調して振動するならば、われわれは一切のバイブレーションの中でも最大の光のバイブレーション、一切のバイブレーションの父、即ち神となる。
 これらの宇宙線が、いわゆる物質を破壊するほど恐るべき砲撃力となることが、遠(とお)からず証明されよう。これらの宇宙線はあらゆるエネルギーの根源、あらゆる元素の父、あらゆる元素の根源から来る。これは実は破壊ではなく、いわゆる物質から霊形態への変性(トランスミューテーション)なのである。
 これらの宇宙線が極めて巨大なる透過力(とうかりょく)を有(ゆう)し、あらゆる物塊(マス)を透過して、いわゆる原子のハート、核そのものをいわば破壊し、それを他の質料(サブスタンス)の原子に変性して、かくしてより高い秩序に属する他の元素を創造することが、遠からず分かるようになるであろう。かくのごとくにして創造は進行してゆき、純光(じゅんこう)即ち純生命(じゅんせいめい)をより高き次元に放射してゆく。
 このような巨大なる透過力のあるこれらの放射は、地球や太陽銀河(サンギャラクシィ)からくる放射とは容易に識別されるし、後者の放射を完全に支配する力がある。これらの放射は或る不可視の普遍的根源から来たるもので、その放射線は極めて強力で一個の元素を変化させ、或いは変性させて、他の元素を無限の微粒子と化してしまう。地球がこれらの放射線の恐るべき砲撃を不断(ふだん)に受けていることなどが、間もなく知られるようになろう。この宇宙線が原子の核を撃つと、核は破壊されることも発見されよう。宇宙線はこの原子を分割して他の質料の微粒子と化し、かくて低次より高次の元素へと変性する。かくして、これらの放射は物質を破壊するのではなくて、低次より高次の元素へ、即ち物質的なものより霊的なるものへと変性するのである。
 この高次の元素は、人間の命ずるがままになる。それは、人間が高次の目的のために使用するから、名づけて高次というのである。
 人間が霊的バイブレーションを起こしているときは、この放射線とその動き方を完全の決め、且つ制御することができる。
 かくて霊的振動を起こしている人間にあっては、四六時中彼(かれ)の周囲全体で変性が起こっている。変性とは高度の意味における創造なのである。従って一切は、その現に存在するところで創造されるのである。創造は決して止むことなく、続き続いて決して終わることはない。
 大宇宙から発する放射線は光より成(な)り、この大宇宙より爆出する、いわゆる光(ひかり)弾丸によって構成されている。この大宇宙はすべての宇宙群を囲繞(いじょう)し包含(ほうがん)しており、この大宇宙の中で各小宇宙群よりふんだんに放出されるエネルギーをそれぞれの太陽が吸収し、その中心太陽核(かく)に送り込み、保存し且つ集中して、形成する。この中心太陽は、振動し脈動するエネルギーで充満するようになり、一方エネルギー自体はきわめて濃厚に凝縮し、ついにいわゆる光弾丸が猛烈な力で発射され、他の原子核と衝突したときにその原子は粉砕されるが、破壊はされない。その粒子たちは変性して他の元素たちの粒子となり、しまいには同化してこの新しい元素となって落ちつく、かくてその元素が蘇生するわけである。
 生命とは、光弾丸のいわゆる砲撃によって放出されたエネルギーである。そのうち、放出された粒子によって吸収された部分はその粒子の生命といわれ、放出はされたが生命として吸収されなかったエネルギー部分は大宇宙に、いわば返還、引き戻される。そしてそれは再び集中、濃縮(のうしゅく)された上でまた発射され、他の原子たちと衝突してそれを粉砕し、かくて他の元素の原子創造の要因(よういん)となる粒子たちを創造する。
 かくて拡大、集中、バイブレーションの低下、濃縮を経(へ)て、ついに形体化し、創造は永遠に続く。
 この智慧を有する放射エネルギーが吾人(ごじん)の周囲の宇宙群を統制し、本来霊的であって物質的ではない、われわれの体という宇宙を統制する神なのである。
 この変性は崩壊ではない。これらの光弾丸のごく一部分のみが、一定の時間比で且(か)つまた法則に完全に従って、他の原子たちの核を撃つように英智(えいち)が指揮しているので、バランスの崩れた現象化はしないようになっている。
 人間は、この究極の英知(えいち)と一つになれば、秩序整然たるやり方でこの打撃を高めて、彼の必要とするものを瞬間的に満たすことができるのである。こういう方法で、人間は遅い自然の過程を促進することができる。しかし自然に干渉するのではなく、自然が低い秩序で働く低いバイブレーションの率よりも、もっと高いバイブレーションの率で自然と共に働くのである。『汝(なんじ)らの目を挙(あ)げて野を見よ、野(の)はすでに白く刈り入れの用意整(ととの)いたればなり』である。すべてはバイブレーションであり、すべてはバイブレーションの働くところの面(めん)、乃至(ないし)、分野に対応する。この面又は分野とは、地球を取り巻いている同心円帯(バンド)、又は殻(かく)のことではない。これらの同心円の殻、又は層はイオン化した帯(おび)であって、地球を取り巻いており、地球上から発するバイブレーションを反射するが、宇宙線の射入(いにゅう)は妨(さまた)げず、閉め出しはしない。四六時中、変性即ち創造が続くのは、これらを通じてである。わたしたちの体さえ、低次より高次の状態に変性している。わたしたちは自分の想念を、従って又(また)、自分の体を、より高きバイブレーションに意識的に同調し続けることによって、この変化を意識的に指揮することができる。こうして、わたしたちの体を、より高き振動率に意識的に同調させることによって、わたしたちはその高きバイブレーションそのものとなる。
 この状態の中で、主(マスター)はあなたたちを待っている。あなたたちは本来今(いま)あるままで主(マスター)である。一切の状態の支配者なのである。或(あ)る一(ひと)つのものを自らが神として創造する自覚と栄光とは、いかなる物質的な世俗の思いをも遥(はる)かに超えることが今、あなたたちには分かったのである。第一段階は常に、まず『完全』の習慣、『神』の習慣、『キリストなる神』という習慣を養(やしな)う積(つも)りで、自分の想念、心、体の一切の外に出る動きを完全に統制することである。何処にいようと、仕事中であろうと、休憩中であろうと、思い出すごとに、このことを実行(じっこう)せよ。この完全なるものが自分の中に存在するのを観(かん)ぜよ。この完全なる存在を自分の真我(しんが)、神なるキリストの臨在(りんざい)と観(かん)ずる習慣を養(やしな)え。更(さら)に百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)一歩(いっぽ)を進(すす)めて、汝(なんじ)の存在のまさに中心より聖(せい)なる白光(はっこう)が、目も眩(くら)むばかりの純粋さと輝きとを以(もっ)て発光すると観(かん)ぜよ。その大いなる輝きと栄光とが、全肉体のあらゆる細胞、繊維、組織、筋肉及び器官から発すると観ぜよ。かくて、真の神のキリストが勝利に満ち、純粋、完全、永遠なる相をもって顕現(けんげん)せりと観ぜよ。小我のキリストにあらず、汝自身の真の神のキリスト、汝の父なる神の一人子、常に勝利に満ち、一切を征服する神の真(しん)の一人子のことである。
 『神』という度毎に、自分が神を出していることを十分に分かって貰いたい。そうすれば、あなた達はわたしを神のキリストとして世に出すよりも大いなる奉仕を世にすることになろう。自分自身を神のキリストと見ること、自分自身を神として世に現わすこと、神を自分自身と見ることが、遥(はる)かに偉大且(か)つ尊(とうと)いことなのである。
 あなたたちは後ろの方に坐って、わたしに取りなしを祈る。わたしを偶像にしたり、肖像(にすがた)を造ったりそれに祈ったりしない限り、わたしを神のキリストとして世に示(しめ)し、わたしを通じて現れた相(すがた)を神の特質として認めてくれるのは、非常によろしい。しかしわたしの姿を刻(きざ)んだり、その肖像(にすがた)に祈ったりした瞬間には、もうあなたたちはわたしを貶(おと)し、あなたたち自身を貶(おと)しているのである。わたし、または誰でもよい、他の者の示(しめ)す理想を見て、次にはそれを自分自身の理想とするがよい。そうすれば、わたしたちは神から離れることがないし、世界を征服する。われわれと共に神において一つとなることによって、偉大なることが成しとげられるのがお分かりであろう。
 愛と尊敬、献身(けんしん)と崇拝の心でこういうことを涵養(かんよう)〔自然にしみこむように、養成すること〕すれば、それは習慣となり、やがてあなたたちのすべてとなり、日常生活となり、存在となり、かくて短期間に、神を顕わすようになる。かくて又(また)、あなたたちは再び聖なるキリスト、神の嫡出子(ちゃくしゅつし)となる。この大いなる光を実際に感じ、見、掴(つか)むがよい。それを自分のものであると受け取り、そう宣言し、また自分の者であると積極的に知るがよい。そうすれば短期間の中に、あなたたちの体から真実この光が出るであろう。
 あらゆる時代、あらゆる状態において、無辺(むへん)の宇宙を通じてこの最高の光は実存してきている、それは至(いた)るところにある。この光こそが生命である。
何かの事が明(あき)らかにされると、われわれはそれについて啓蒙(けいもう)された即(すなわ)ち、光を注(そそ)がれたことになる。この光はわたしたちの意識的な観念の中に入ってゆく。すべての偉大な方々の場合にもそうであったように、程なく生命の光があなたたちの注視しつつある目に届くであろう。これらの偉大な方々の多くが、大いなる光の中に現われている姿が描かれている。あなたたちには見えないかも知れないが、この光は実際にあるのであり、それはまた生命でもあって、あなたたちの体からも放射しているのである』。