ヒマラヤ聖者生活探求

第十六章  愛と猛獣(もうじゅう)    第三巻
 名前もなく、年令もなく、久遠(くおん)である。相共(あいとも)にへりくだり、神性の中に在(あ)る方の話。
 「あなたたちは野獣(やじゅう)を恐(おそ)れる必要はない。恐れなければ決して害は加えないのです。あなたたちは前に、ある村の人を護(まも)るために、その村の前の地面に横たわって動かないままになっていた肉体を見たことがあろう。あれは一般の人々にとっては、只(ただ)肉体上のしるしにとどまっただけであった。あの肉体は動かぬままに曝(さら)され、野獣(やじゅう)のなすがままにされていました。動かなかったのにも拘(かか)わらず反(かえ)って害を受けずにすんだ。人々はこの事実に気がついたのです。それによって人々は動物に対する恐怖がなくなるのです。恐怖心がなくなった瞬間、恐怖のバイブレーションは放送されなくなり、従(したが)って野獣(やじゅう)も何ら恐怖のバイブレーションに感応(かんのう)しなくなり、丁度(ちょうど)周囲の木や草や小屋などのように人間を食べるべきものとは見なさなくなる。野獣が、前には一番恐怖の念(ねん)を放送していた男を餌食(えじき)にしてきた村を、今度は誰も恐怖を起こさなくなっているため何事もなくまっすぐ通り抜けてしまうこともあります。それをあなたたちは実際に見たわけです。さらに又、野獣が地面の上に倒れている者の上をそのまま、またいで、村をまっすぐ通り抜け、自分を恐怖する者を探(さが)しにゆくのをも見たわけです。又、その同じ野獣が二十呎(フィート)と離れていない所にいる二人の子供達との間をまっすぐ通り抜けて、恐怖を起(お)こしていた年(とし)のいっていた人を襲(おそ)うのを目撃しています。だから、野獣(やじゅう)は人を見ているのではないのです」。
 この方のいわれる出来事が記憶の中より、どっと押し寄せるように蘇(よみがえ)り、わたしたちは始めて、これまでの恐怖の深い意義をしっかり把握(はあく)するほど深く考えていなかったことが反省された。彼は猶(なお)、話つづけられた、「動物を愛しなさい、そうすれば動物も亦(また)、愛をもって答えてくれるものです。もし動物が人のこの愛に抵抗するなら、人間に害を加える前に動物の方が人に殺されます。動物はこのようなことについて、人間よりも遥(はる)かによく気づいているのです」。
 虎(とら)の方をチラリと見ながら、「ここにいる同胞(どうほう)に愛を出した、その反応を見て見ることにしよう」と言った。
 わたしたちはそれに応(こた)えて精一杯やってみた。するとすぐに虎(とら)は転がり、跳(は)ねあがり、始終(しじゅう)嬉(うれ)しくてたまらぬ様子(ようす)を見せながら、わたしたちの方に近づいてきた。
 師は、また語り出された。
 「動物を敵(てき)として近寄(ちかよ)って行けば、彼らは斗(たたか)うべき敵(てき)となり、同胞(どうほう)として近づけば保護者となるものです」。