金星人オムネク 地球を救う愛のメッセージ 単行本 – 2011/12/18 オムネク・オネク (著), 益子祐司 (翻訳)    

①魂とは存在の本質

 あなたが注意を向けるところに、あなたのエネルギーが流れることを忘れないでください。あなたが否定的な問題に焦点を向けると、あなた自身のエネルギーでそれを増強することになります。ですから意識的に努力して、あなたのエネルギーと思考を、自分が望むことに集中させることが大切です。

 多くの人々は半ば習慣的に、無意識のうちに否定的な悪いことに焦点や考えを合わせるようにプログラムされています。それが、地球社会にこれほど多くのもめごとやトラブルがあることの理由なのです。あなたは自分が考える事柄を変化させて、自分のエネルギーを建設的で前向きな方向に利用するように、自分の無意識的な傾きを変えなければなりません。

 私たちは誰もが、まだ眠ったままのたくさんの能力を持っています。それらはまだ一度も活性化されたり、使用されたりしたことのないものです。精神感応とも言うべきテレパシーは誰もが持っているものですが、多くの人々はその能力を特別な人だけが持つものと思っています。それだけでなくあなたが本来持っている多くの能力は、あなたがそれを認識して使い始めるまで利用されることはありません。

 私たちは自分自身が創造された場所から旅を開始しており、ついには何千回もの転生を通じて体験を積みながら、自分が創造主の延長であって、その一部であることに気づいてはいません。しかし、自分が実はそういう存在であるという知識を得て、万物の創造主について理解しその延長であるという認識とともに、やがては自分自身が創造する者になっていくのです。

 私たちは輪廻転生するたびに新しい体に宿り、新しい心を持ち、多くの時間をかけて新たな体に適応してその使い方を学び、新たな体験の中で多くのことを学んでいます。しかし繰り返される多くの過程において、ほとんどの記憶は失われていきますが、実際にはその大半は潜在意識に蓄えられています。

 自分の本質である魂は多くの体験を覚えています。しかし体とともにある顕在意識はこの偉大な知識についてほとんど知ることがなく、そのために、すでに自分の中にあるものを外側にずっと探し求めているのです。また、すべての意識と体験の記憶が少しも損なわれず、断片的にではなく完全に覚えている状態で生まれ変わる魂はほとんどいません。中にはすでに物理的な世界に戻る必要がないにもかかわらず、人々と分かち合い、真実を彼らにもたらすためにあえて転生することを選ぶ魂たちもいます。

 多くの偉大で霊的な存在たちが、これまでにも地球を訪れては去っていきました。地球上のすべての魂たちが彼らによって啓蒙を受け、啓発され、やがてこの惑星が本来のそうあるべき神聖な世界となるまでは、今後も彼らによる訪問は続けられることでしょう。地球にいるすべての生命がお互いを魂の存在として理解して受け入れ合うことで、人類を支配する闇の権力によって仕掛けられた「分離」というものを無視し、乗り越えて行けるようになるまで、彼らは引き続きやってきます。日付や年月で細かく分けられる、「時」という人工的な地球の概念でさえが、実際には存在しないものなのです。

 あなたがここで過ごす一つの生涯の時間は、一粒の砂のようなものに過ぎず、魂はいつまでも永遠であり続けます。ですから霊的な世界と再びつながり、顕在意識的な自己を超えて自分の中ですべてを結びつけ、さまざまな分離や分け隔てをなくすことが極めて重要なことなのです。

 魂とは存在の本質です。それは、たとえ限りなく転生を重ねていく中においても、自らの完全なコントロールの状態にあります。たとえ誰もがその他のあらゆる生命存在とつながっているとしても、あなたは唯一個人として創造されている存在なので、常にそうあり続けます。なぜならそれぞれの魂は独自の体験をするものであるので、それが誰かと同じであるということはあり得ないのです。

ものの見方を変えることを学び、人生における体験において、そして他の人々を魂として眺めるようになれば、ものごとの全体像を見渡せる偉大な能力を持つようになります。それはお互いの性格や、個人的な異なる状況などの角度からではなく、自分や他の魂たちを特別な個人としてより深く理解して受け入れることです。違いのゆえに裁いたり、腹を立てたりすることなく、受け入れて愛すること、それが私たち本来のあるべき姿なのです。

 すべてのエネルギーは螺旋状に回転して形作られています。銀河でさえがそうなのです。これが創造の神秘であり、あらゆるエネルギーは万物の周囲に渦巻きを形成して固有の磁場を発生させています。つまり、生きとし生けるもののすべては、惑星と同様に自身の周りにエネルギーの渦を伴っています。

 創造主は、私たちの想像を超えた知性を有するもっとも強力な偉大なエネルギーなのです。それは決して消滅することなく、自身の内からすべての宇宙、銀河、生命体、そして魂たちを生み出し、終わることのない進化と再生のサイクルを繰り返しているのです。

私たちもこの計画の一翼を担っており、発達と成長を遂げることで知性を獲得し、全能にして普遍的な存在となるために、終わりのない創造と進化を続ける魂なのです。私たちは常に創造の源から螺旋のように流れ続けており、学習と成長を続けることで力をつけ、終(つい)には、自分を生み出した力の源へ帰り再び一つになるのです。そのときには、旅を始めた当初には欠けていた、知性や経験の豊かな実りが唯一のお土産となるのです。

 私たちはひとときも、自分を創造した者から離れることはなく、常に一緒であり続けています。だからこそやがて、私たちも自ら望むものを創造することを学ぶときを迎えるのです。そしてそれは私たちが属する全体への貢献になるのです。

 20世紀初頭に地球での生涯を終えた後にアストラル界の金星に転生する。しかし過去世で負ったカルマの解消および地球の人々の意識を高める手助けのために、幼くして再び地球へ行く決意をし、体の波動を物質界レベルに低下させ、金星のアストラル界と物理的世界を結ぶ中継都市レッツから宇宙船に乗り、1950年代初めにチベットの秘密寺院に来訪する。

 そこでしばらく肉体に慣れる訓練を経た後、一般家庭で生活するために米国へ渡り、交通事故で亡くなった幼女シーラとその場で入れ替わる。シーラとは一八世紀末のフランス革命時代に共に生きた姉妹で、今生でも二人はうり二つであり、シーラは親元から離れて一人で祖母のもとへ向かう途中で事故に遭ったため誰も入れ替わりに気づかなかった。前世で自分の身代わりとなって処刑された妹の今世でのカルマを引き受けたオムネクは、地球社会で長年に渡る悪夢のような試練に耐える。

そして1991年に金星の指導者たちからの助言を受け、人々に平和と人類愛のメッセージを伝えるために国際UFO会議で自分の素性を公にして出席者たちに大きな衝撃を与える。その後は欧州を中心に講演活動や「地球の変容」ワークショップを行い、米国、ドイツ、日本で本を出版。現在は子供や孫たちと心穏やかな毎日を過ごしている。

 ②自分で選んだ人生のすべてを受け入れよう

 人は個人的な存在として、たとえ意識の上では覚えていなくても、過去世での体験の上に今回での自分の人生を創造しています。よって偶然に起きてくることは何もありません。それぞれの魂は生まれ変わるとき、過去で縁のある他の魂たちや、自分の向上に必要な個人的体験を考慮した上で、次の人生でのプランを決めてきています。過去におけるすべての選択、多くの生涯での体験の記録は魂に保管されています。心理学者たちはこれを潜在意識と呼ぶこともあります。

 自分で選んだ人生でありながらその体験から学ぶことをせず、自身を向上させることがない場合は、本来なら繰り返す必要のない体験を何度もすることになります。残念ながらこういったことはしばしば起きていて、その原因として、この地球社会にある「人生の教え」というものが十分なものではなく、限界をを持っていることが揚げられます。つまり自分が肉体だけでなく魂の存在であることを知らず、他の次元にも多くの世界があることを知らなければ、自分が選んだ人生体験であることも分からないので、そこから学ぶこともありません。実際に地球の人々は、非常に多くの時間と労力を費(つい)やして人生と悪戦苦闘し、そのあげく心身に混乱をきたし、自分がなぜここにいるのか理解できずに苦しんでいます。

 必要なことは、「自分の意志でここにいる」という事実を受け入れることを学ぶことです。

そして今、ここで体験することに抵抗しようとすることをやめ、その体験を自分の進歩成長のために起きているものと受け入れることです。そうすれば、もはやその体験に囚われることもなくなり、自分本来の道を歩んでいけるのです。そのような人生における理解が不足しているとき人は感情的な混乱に陥り、精神的なストレスにさらされ、多くの場合において自分のカルマの負債をさらに増やしてしまう結果になります。「経験はあなたを殺すのではなく、強くする」という見解は正しいのです。

 一つ一つの体験を学習の機会として受け入れられるようになると、人生についての理解がもっと容易になり、それぞれの状況を見極めて、そこから何を学んだかについて自問自答できるようになります。実は誰もが、自分の過去世の記録を読む能力を持っています。なぜなら、あらゆる過去世は現在の自分と、その置かれた環境に大きく関係しているからです。あなたは魂として、あらゆる次元における世界を訪れる能力も持っています。つまり魂というものは、自分で設けた限界以外には何の制限も受けないのです。あなたが瞑想する習慣を持つならば、「魂の旅行の達人」への道を歩み始めることになり、魂である自分を完全にコントロールできるようになります。

 人は自分自身の過去と現在の、あらゆる体験を理解する必要があります。 そして自分のすべての行ないと、自分が関わったすべてのことを受け入れなければなりません。それがたとえ自分にとって思い出すのもいやなことや、否定的なものに分類されようとも、一つ一つの体験は、この物理的世界における魂の完成のために必要とされる貴重なものなのです。それらの体験を経ることで、魂はこの領域を超えて、もっと多くの他の世界での学習へと歩みを進めていくのです。

 現実とはなんでしょうか ? 現実とは人や物事に対する見方や捉(とら)え方に過ぎません。そのことを理解するためには、自分だけでなく、誰もがそれぞれ独自の見方を持っているということを受け入れるように、自分の視点を変えなければなりません。たとえば、あなたが椅子を目にしたとします。それは私たち人間が座るにはちょうどよいサイズですが、昆虫にとっては非常に大きいもので、椅子の足を登って座席にたどり着くまで相当の時間を必要とします。また私たちにとっては椅子(いす)は固体のように感じられても、光の粒子から見ればそれは原子の集まりであって、光の粒子はそこを通り抜けてしまえるのです。

 私たちの目には椅子は固定されて動かないように見えますが、もし宇宙空間に浮かぶ宇宙船から眺めたならば、椅子は惑星とともに回転しているのです。他の国の人たちは、あなたの前にあるその椅子を見ることはできませんが、その椅子はあなたの現実の中には存在しています。つまり椅子に対するあなたの見方は、あなたの視点だけによるものなのです。それはあなたの現実ですが、唯一の現実ではありません。

 ですから私たちは、別な視点による現実を受け入れることを学び、理に叶っていないように思える方向からも考えてみなければならなりません。その現実に対する他人のもつ概念に意義を唱えるのではなく、彼らの視点による現実として受け入れるべきなのです。私たちはみな、それぞれ自分の見方でそれを受け止めているだけなのです。誰もが自分独自の考え方や印象を持つ権利を持っています。

 また、誰よりも上位にある人間や文化、宗教といったものはなく、そこにはただ私たちのえり好みがあるに過ぎません。それにもかかわらず地球社会では、宗教や人種、国などに優劣があると教えられています。これらのことは知的な概念であって、現実の中には存在しないものです。私は誰かと知り合った際には、相手が黒人のクリスチャンであるとか、白人のカトリック教徒であるという見方をして接したりはせず、私は彼らを物理的な肉体に宿った魂として見ます。しかし多くの人々は自分の考え方に囚われています。

私たちは誰もが学習の途上にあるものなので間違いは避けられませんが、地球に住む人々の考え方の多くは、他人の考え方であって自分自身のものではないのです。しかも大多数の人は、自分のものではない考え方で見ることに慣れてしまっており、それを自分の考えとして受け入れてしまっています。外部の考え方を受け入れて、優越性というようなことを信じてしまうと、自分の人生に多くの緊張と対立を生み出すことになります。なぜなら他人よりも優位に立つためには、相手の落ち度を見つけ出して批判したり、優位性を損なわせたりする必要があるからです。それによって争いが起こり、不和が生じるのです。

 しかし、もしあなたが魂のレベルからものごとを見るならば、それらが誤った概念であり、真実ではないことがわかります。個人が選択した学習や彼らの必要を満たすものは本人にとって良いものであり、真実とは、誰もがあなたと同様に自分自身で何でも選ぶ権利があるということなのです。私たちはそれぞれの意識状態によって自分に関係があり、理解できるものを選んでいます。しかし自分の意識が変われば、これまで学んできたものにはもはや満足できなくなります。これが進化です。しかし残念ながら多くの人々は、親や教師や社会が言うことを信じていて、与えられたプログラムに依存して自分の人生を送っているだけなのです。しかし自分が創造された意図に従って生きたいとあなたが望むならば、自分の変化と成長を求めるに違いないのです。

 ③世界には善悪ではなく「無知」だけがある

 私たちの誰もが、さまざまな生命形態を経験してきている。 あらゆる生命がそうであるとするならば、万物に対してさらなる深い思いやりと愛情を持たずにはいられないはずである。どんな魂をも受け入れて、悪戦苦闘しながら生きている存在たちすべてに、敬意を払わずにはいられないはずなのだ。そして受け取った情報に混乱させられ、方向を見失ってさまよっている人々を助けずにはいられないはずである。また、無知のゆえに他人に酷い不正を働いている者たちに対しても、彼らよりも多くを知っている者として、知性を分かち合って助けることは我々の義務でもある。

 知性というものは、それを得た者は後にそれをどう生かしていくかという責任を伴うものであることを、理解しなければならない。より知性を得た者は、より良くなるべきなのだ。この世界にあるのは善悪ではなく、あるのは「無知」だけである。しかし知性は優越感を伴うものではなく、精神を啓(ひら)くものであり、何が真実で正しいことであるかを教えてくれる至高の創造主に感謝をすることである。それが、魂として存在している真実のあなたの姿なのだ。 至高なる神性には、7つの基本法則と7つの聖なる法則がある。

   7つの基本法

 1 自分自身が創造主の一部であることを知る

 2 すべての経験に感謝をする

 3 裁(さば)く(価値判断する)ことなく、すべての存在を受け入れる。(損と得・合理と不合理・善と悪などを判断すること)

 4 自分があらゆる生命形態として存在してきたことを知る

 5 それぞれの人生において、自分の責任を果たす

 6 自分が存在する世界の、自然の法則と社会の法則に従う

 7 同じ訓練を繰り返さないために、過(あやま)ちから学ぶ

   7つの聖なる法則

 ① 生きているものすべてを愛しなさい

 ② 自分が生きている世界をより良くするために、自分の力を使いなさい

 ③ 知識と知恵を分かち合いなさい

 ④ すべての魂は平等であることを理解しなさい

 ⑤ 決して他人を操作したり、コントロールするために力を使ってはならない

 ⑥ 魂は不滅であり、永遠に生きることを知りなさい

 ⑦ 一なる至高の創造主である存在に、日々感謝しなさい

 これらの法則は、創造が始まって以来ずっと存在しているものである。 この至高なる神性の法則を学び、心に留めて、それに従って生きるなら、多くのカルマを克服し、万物と自分との関わりについて広大な視野から見渡せるようになる。これらは人間が作った規則とは異なり、限られた教えや社会組織だけに通用するものではなく、すべての生命を包括(ほうかつ)する法則なので、いかなる信条をも妨げることはない。

 また、これらの法則は、あなたがいつどこに存在していようとも、あなたの選択と自由を妨(さまた)げるものではない。だからそれぞれの魂は、自分が選んだ精神的教えや社会の規律を守り続けることもできる。これらの法則は、至高の創造主が我々の存在意義を認めているように、我々もまた他の生命存在を裁くことなく受け入れて、魂という視点から相手を理解しようとする手助けをしてくれるものである。

 我々は自分の人間関係を整え、調和とバランスのとれたものに保てるようになると、他の魂たちに対する執着や束縛も薄れていく。そうなっていくほど、不必要なカルマや戒めを経験する必要がなくなる。なぜなら自分がその関係からまだ学んでいなかったり、責任が取れずにいたりするために、再び同じ体験を繰り返す必要がなくなるからである。

 基本的なカルマというものは、3次元的な物理的世界だけではなく、他のレベルの世界においても同じように蓄積される。これらは魂の発達のために、相互関係の学びにおいて必要なことなのだ。だから基本的なカルマは、我々が目標を達成する学びを助けるために持ち越される。

 不必要なカルマは、基本的なカルマとは異なるものだ。 それらは過去や現在の人生において、情緒的な状況に対する執着や、人生のサイクルを終えるにあたって、自分で清算する必要性に気づくことなく蓄積してしまったカルマである。どの輪廻転生における生涯であっても、遣り残した務めというものは肉体の消滅とともに消えてしまうものではない。未解決の人間関係は、繰り返し転生することを通して解決せねばならず、生まれ変わる先が物理的世界であるか別のレベルの世界であるかに関係なく、問題解決のために一人、あるいは複数の魂たちと再び出会うことになる。

 一方、カルマには良いカルマというものもあり、それは他人への思いやりや善意の行為のお返しとして受け取るものだ。良いカルマは、情緒的で知性的、物理的な面で他人に捧げられた行為を通して生じる。しかしそれは見返りを求めて行なわれたものではなく、真に無私の行ないであったのだ。その人がある人生の生涯を終えるとき、良いカルマは未来の物理的世界あるいは別の次元の人生において報われ、体験させられることになる。

 良いカルマを作るためには、常に人間関係のバランスを保ち、心や体に傷を与えるような未解決の情況に身を置くことなく、人に対してあらゆる優越感や執着心、利己心を持たず、同じく物などの富に対しても行き過ぎた執着心や利己心を持たずにいることである。 なぜなら経験は、自分への恩恵と学習のためにあるのであって、他人を軽蔑したり利用したり、コントロールしたりするためのものではないからだ。

 魂の視点から見るならば、実はネガティブやポジティブというものは本来存在しないのだ。なぜならあらゆる体験は相対的なものであり、魂にバランスをもたらして完成させるためのものだからである。

 人生には多くの苦悩がつきものであるとしても、人は痛ましい体験を通して多くのことを学ぶ。それを通して、そのような状況にある人に同情し理解できるようになる。 しかしそうであっても、人は生涯を通じていつまでも犠牲者のままに留まるべきではない。 現在の状況から何を学ぶ必要があるのか、何度も繰り返し起こる出来事からどのように逃れたらいいのかについて、問うてみなければならない。何度も発生する問題はカルマ的なものなので、そこから教訓を学ぶ必要があり、そうしない限りは何度も目の前に現れ続けるだろう。

 苦しい環境でもがくことをやめ、貴重なレッスンとして受け入れるようにすれば、人生はもっと容易なものとなる。自分に問いかけなければならない。そしてもはや必要ではないと分かったならば、どのようなものであっても拒絶しなければならない。

 ④自分の注意が向くところにエネルギーが流れる

 瞑想というものは、遥(はる)か昔の太古の時代から人々の生活に浸透していたものである。それは古くから実践されてきたものの一つであったが、過去において大きな力を持つようになったキリスト教が瞑想を非難するようになったために、あらためて人類に紹介される必要があった。 瞑想はキリスト教によって、異教の教えやオカルト的な使用と関連付けられて排斥されてきた。 しかし実際には、瞑想とは内なる自己に焦点を合わせ、物理的な世界を離れて、他の広い世界を眺めるために利用されるものなのである。

 瞑想とは、あらゆるものに生命を与えているエネルギーの源に自分の波長を合わせて、その存在の一部となり、自らのエネルギーをコントロールするための手段である。我々は、人類を操作して偽りを信じさせようとしている者たちの犠牲者ではなく、自分の運命の創造者となることができる。なぜなら魂は、唯一いかなる場合、いかなる人生においてもあらゆる出来事に対する自由意志を持っているからである。創造主から与えられた自由意志とともに生きるとき、自分を取り巻く周囲の状況の犠牲者になることなく、自分の運命の支配者になるのだ。

 あなたは自分自身を癒す力を持つ、神聖な存在であることを知らなければならない。 他の人たちを癒すことよりも、自分自身を癒すことが何よりも良いことである。我々は常に他人を愛し、必要な助けを与えるべきであるが、常に心に留めておかねばならないことは、他人を癒すエネルギーは我々の一部ではあるが、我々自身が癒しを行なうのではないということである。これを自分の功績にしようとするエゴがある場合は、それは神聖なエネルギー源を操作しようとする危険な行ないとなる。

 宇宙万物を生かしながら流れるエネルギーとは、至高の創造主、あるいは神と呼ばれる存在である。我々は、例外なくすべてのものが創造主の一部を成す魂であり、その創造物である。我々のすべては聖なるものとして誕生し、誰もが存在目的を持っている。我々が物理的な世界に送られるのは、魂がそこでできる限りの体験や学習をするためである。自分がどこから来たのか、あるいは自分が魂の存在であることをまだ分かっていない状態から、少しずつ段階的に理解を増しながら、やがては我々自身が創造する者になっていく。我々自身が自らの運命を創造するようになるのだ。

 我々は多くの輪廻転生を経験する者である。 我々は物理的な世界に生まれる前に自らの人生を選択し、生まれてからはその人生において悪戦苦闘しながら、多くの時間をかけて自分が学ぶべきことを習得していく。 そしてどんな出来事が起ころうともそれを克服していこうとするようになれば、学習はさらに加速され、自分自身とその人生についての理解をさらに深めていくようになる。

自分がどのようなことに注意を向けているかを知ることが大事である。

 なぜなら我々はエネルギーであるので、あなたが関心を向けるところにあなたのエネルギーが流れることを忘れてはいけない。 あなたの心を乱す物事や、情緒的なストレスを引き起こすものに焦点を合わせると、あなた自身にもそれを引き寄せることになるので、建設的ないい体験にのみ焦点を合わせることが大切だ。病気であれ争いであれ、あなたが心配して注意を向けると、そこにあなたの力を与えることになり、その出来事をますます大きくしたり、新たに発生させてしまうことにもなるのだ。

 戦争が起きている地域には常にプラスの思考を送ることだ。 いつも善意が勝つことを理解し、暗い運命や否定的な状況を考えたり、予測したりしないことである。自分自身のことについても同じことだ。自分をイライラさせる何かに注意を向けると、それがさらに悪化することに気づくはずだ。しかし意図的に自分の意識や関心を別のものに逸らせることができれば、それに煩(わずら)わされずにすむ。そのように自分の意識とエネルギーを、建設的で肯定的な方向にコントロールすることができる。 そのようにすることで自分のエネルギーを、自分と他人のより良い世界を創造する一翼を担うために使うのだ。

 我々金星人はあなた方地球人とは異なり、あなた方が死と呼ぶものを、ある存在状況から別のものへの移行、あるいは上層世界への次元上昇と捉えている。だから我々にとって、死とは喜びに満ちた出来事で、より制限の少ない世界へ旅立つ一種の卒業のようなものである。さらに地球人と我々が違うのは、金星人たちは前もって自分の運命を知っており、今までいた場所を去るときにはすでに準備ができているのだ。

 アストラル界に住む金星人は、物理的な世界に生きる地球人のように、老化のプロセスを経ることはない。 我々が物理的な世界に肉体を持って顕現するときには、地球時間にして約500年の寿命を持つが、金星では5、6千年の寿命を持つ。 しかし地球における作られた時間の概念を克服するなら、それはあなた方が思うほど長いものではない。魂は不滅であって、我々の誰もが実際には永遠に生きるのであれば、数千年が何だというのだろうか!

 このように我々の時間の概念は、死の概念と同様に、地球のものとは異なっている。 死による移行によって変わるのは次に自分が存在する場所だけで、それを決めるのは直近の人生において自分が何を学んできたかによる。だから、あなたがまだ学んでいないことは何であるか、そして既に学び達成したことは何であるかによって、魂であるあなたは次に行くべきところを決めるのだ。 我々は誰もが魂として真に独立した個人なので、宇宙における多くの領域の、どの宇宙の、どの惑星に移行するのかは、それぞれの魂によって異なるのである。

 我々金星人は、死ぬ、亡くなるということを、何か悲しいことと捉(とら)えたり、それによって喪失感を覚えたりはしない。 なぜなら誰も亡くなる人はおらず、去(さ)り行く魂たちは存在し続けるのであり、我々の関係は生まれ変わるごとに変わっていくだけなのだ。 あなた方がこれらのことを理解して受け入れるならば、人間同士やペットたち、またあらゆる物事に対して執着を持たないようにすることが容易になってくる。 我々金星人は、自分たちは何も所有してはいないのだということを知っている。 ただ必要とするものを一時的に使うだけであり、あらゆる存在あらゆる物は、ただ至高の一なる存在に属するものなのだ。 結局のところ自分の魂だけが自分のすべてであり、それだけが自分でコントロールできる唯一のものなのだ。

5)地球はカルマの解消ができる唯一の惑星

 皆さんにとっては興味深い事実をお伝えしましょう。 それは土星木星における地表での重力は、地球の科学者たちが推測しているほど大きなものではないということです。 同様に、海王星冥王星、そしてそれより外側の惑星は、氷点下の気温の惑星ではありません。 太陽からの距離は、水星を例外として、どの惑星の表面の気温にも影響を与えることはありません。 海王星とその外側の惑星が、海王星冥王星の間にあるアステロイド帯(小惑星帯)の影響を受けているというのは本当です。

 それはアステロイド帯が真空管のグリッドと同じ働きをして、太陽からの放射エネルギーを増加させているのです。(訳註: アステロイド帯が真空管のグリッドと同じ作用で、太陽から離れた惑星へも放射エネルギーを増大させているという原理は、アダムスキーもまったく同じ喩(たと)えで説明している) 火星と木星の間にあるアステロイド帯も同じように、木星土星天王星、そして海王星に太陽の放射エネルギーを増加させて伝えています。

 アメリカとロシアの宇宙計画が隆盛(りゅうせい)した結果、地球から近隣の惑星に探査機が送られてきました。 そのとき初めて、他の惑星の大気圏内に突入して地表近くの映像が撮影されました。 しかしこの驚くべき発見が公表されることはないでしょう。 これまでにも多くの探査機によって地球に送られたデータのほとんどは、決して公表されることがありませんでした。 つまり、「他の惑星に人間が生存するのは不可能である」とするために、注意深く選ばれた証拠だけが公表され、人々はそれを信じて受け入れているのです。 結局、宇宙探査機は嘘をつけませんが、それをコントロールする人々は何とでもできるのです。(訳註: 実際に、NASA旧ソ連の宇宙探査報告には多くの矛盾が指摘されている。火星の青い空と陸地の鮮明な写真が出てしまい、それは間違いだったとして赤いフィルターをかけた画像に差し替えたり、金星は非常な高気圧で硫酸の雨が降っていると説明しているのに、金星表面に探査機をパラシュートで数回軟着陸させたりしている。このように数多くの矛盾が存在している。)

 遥かな昔から、宇宙の旅行者たちは物理的な宇宙を探索してきました。そしてどの惑星においても、そこにはもっとも正確な秩序と規則性が存在することを発見してきました。それは原子だけでなく、惑星や太陽系に至るまで、すべては自然の法則に従っているのです。 それは銀河が生成される以前からすでに存在していたものです。 つまりそこには宇宙の計画と法則が存在するということなのです。 しかし、地球の人々はそれらについてほとんど知りません。物理的な宇宙の仕組みは、その秘密を発見した者たちにとっては深い意味を持っています。

 宇宙は心に浮かんだひとつのアイディアによってデザインされました。 それは多くの生命の形態を維持することです。 地球の科学者たちも気付き始めているように、生命というものは偶然に生まれたものではありません。 それは多くの自然の法則に支えられ、それを支える太陽系の法則までが必然で活動しています。 物理的な宇宙における生命の進化のどの段階においても、そこには秩序と規則性という自然の周期があり、私たちはそれを認めるとき、そこから学ぶことができるのです。

 生命の源ともいうべき宇宙の至高の存在は、そのゆえに生命を見捨てることはありません。人間とは、物理的な宇宙においてもっとも高次の生命形態の一つです。 物理や化学の法則が地球上のどこにでも見出せるのと同じように、同じような鉱物や植物、そして動物や昆虫などが他の宇宙にも偏在しているのです。 そして実際に、地球にある多くの植物や動物たちが地球を起源とするものではなく、それらどれほど多くのものが地球への植民の際に持ち込まれたものであるかの事実を知れば、あなた方は驚くことでしょう。どの惑星も、多くのレベルの生き物が生息できるように造られているのです。

 ですから私たちは宇宙を旅していく中で、ほとんどの惑星が人間が住める環境であることを発見しても、少しも驚くことはなかったのです。 人類は地球で発祥(はっしょう)したものではなく、宇宙で創造されて地球に植民したものなのです。 人間という種族は、宇宙存在としてデザインされたものなので、多くの惑星の環境に適応できるように創られています。 もしかつて探検隊が北極圏に暮らしているイヌイット族を発見していなかったならば、あのような極度の極寒の状態に人間は適応できないという見解が、今日の常識となっていたかもしれません。

 人間の肉体は、時間をかけることで正反対の極端な環境にも適応することが可能で、実際にそうしているのです。 遅かれ早かれ、私がここで述べている真実は、現実のこととして確認されることでしょう。 宇宙に偏在(へんざい)している一つの生命形態としての人間は、他の多くの惑星で進化を遂げており、その中には地球人の理解の範疇を超えるような精神的、知性的、肉体的なレベルに達している種族もあります。

 私たち金星だけでなく、その友人である近隣の惑星の人々はとても慈悲深い人々です。 私たちもまた、地球と非常によく似た歴史を経(へ)て今日に至っており、かつて金星でも同じように度重なる戦争や権力闘争、人々への抑圧(よくあつ)や残虐(ざんぎゃく)な行為が繰り広げられてきました。 私たちは地球がいつまでもそのような状況から脱却することができず、なかなか成長できないことを心配しています。

 つまり地球では、限りなく同じ過ちが何度も何度も繰り返される中にあるのです。 それは驚くほどの長きに渡っており、地球人はまるで袋小路に迷い込んだようになっており、戦争の経験を経て進歩していく代わりに、状況は改善されるどころかますます悪化してきています。 地球という惑星全体に、黒い雲が垂(た)れ込めているのです。

 私たちの科学者は、地球の大気圏の上層にある巨大な母船で働いています。 そこにはさまざまな仕事を持つ者たちが生活しています。 私たちは苦しみの渦中にある地球の人々を無視することができず、ここまで来ています。 私たちの中には自分自身の成長のために必要な体験を求めて、この地球で暮らしている者たちがおり、私自身もその一人です。 地球は、私たちの太陽系のネガティヴな惑星として、自分の成長のためにネガティヴな経験を必要とする多くの人々を引き付けています。

 多くの教えにおいてこのような必要性のことを、カルマあるいは義務、因果応報と呼び、それは輪廻転生、つまり生まれ変わりの概念に相当します。 生まれ変わりの概念は、私たちの太陽系のすべての惑星においては人生の事実として理解され、受け入れられています。 それは非常に具体的で現実的なものであり、高度な文明社会に生きる者であれば誰もが理解しているものです。 そのためには死というものの理解が欠かせず、私たちは科学的な意味において、あなた方が死と呼んでいるものを超越(ちょうえつ)しています。 それは長い時間をかけた精神的、技術的な進化の賜物でもあります。

 今日、地上で生きているすべての人々は、現世だけでなく、これまでにも多くの人生を送った過去世という経験を持っています。しかし地球に生きる人々はそのことをほとんど知らず、特に西洋社会の人々と、その影響を色濃く受けている人々は概してそのことを知りません。 生まれ変わりということを念頭に置くと、地球というネガティヴな惑星に自分が今いることはそれほど悲劇的なことではないとわかります。 私たちはさまざまな経験を必要とするものであり、その中でネガティブな経験というものは、地球や他の惑星で人生を送りながら成長するためのプロセスの、ほんの一部でしかないのです。

 私たちそれぞれの人格というものは、永遠に個人的なものであり続けるでしょう。 そのことは地球だけではなく、たとえどの宇宙、どの時空世界にも経験として転生する必要がなくなったとしても、私たちの人格は個人的であり続けるのでしょう。 カルマというものは、目に見えない宇宙の法則であり、望む望まないとにかかわらず、また信じていようがいまいが、私たちは従わざるを得ないものなのです。 そしてまさに私たちの人生はその中に展開されているのです。

 それは原因と結果、因果応報の法則としても知られています。私たちの行為のすべて、考えること、また感じることのすべては、実は自分に向けられたことなのです。 その意味は、自分が他人に向けてしたと思う行為のすべては、自分が受け取ることになるということです。(黄金律)自分の行為の結果はただちに戻ってくるとは限らず、それは何年も先になって、あるいは次の転生後に受け取ることもあります。

 私たちは誰も自分の行為から逃れることができず、カルマの法則は、すべてが清算され尽くすまで人生のあらゆる状況を支配し続けます。それは未来のすべてが決められているということではありません。なぜならこうして生きて活動している間にも、一瞬ごとに新しいカルマが作り出され、同時に古いものが収穫されているからです。それはとても合理的で緻密で抜け目のない法則であり、いかなる人であれ、自分の作り出した「幸せや災難」から逃れることはできないのです。

 私が地球にやって来た理由の一つは、私のいくつかのカルマの帳尻(ちょうじり)を合わせるためでした。私は慈悲について学ぶ必要があり、さらに地球において、前世でやり残していたことの仕上げをしなければならなかったのです。私の金星での生活は至福そのものであったので、そのままそこに居るという選択もできました。しかし自分が金星で生涯を過ごすことは、避けられない自分の課題を先延ばしにするだけであることに気づいたのです。

 つまりいつかは、地球に転生することは避けられないことであったのです。今振り返ってみても、地球に転生して後、私が経験した多くの苦しみと試練を勘定に入れても、私は自分の残りの人生を地球で過ごす決意をしたことを嬉しく感じています。

 私たちはカルマのバランスをとるために、他の惑星の住民が地球に来ることは珍(めずら)しいことではありません。 自分の抱えるカルマを今暮らす人々との関係で解消したり、人生において関わり合う人々とともにカルマを清算する場合もあるでしょう。 このように、すべてにおいて私たちの人生は必然によって導かれているのです。 そして戦争や貧困といったネガティブな経験から学ぶ必要がある場合は、私たちの太陽系でそのような経験が出来る場所は、地球以外にはどこにもないのです。

 (6)人は精神的に成熟すると宗教に満足できない

 もし人々が、自らの行為のすべてといつか必ず真正面から向かい合うことになるということを知っていたなら、正常な心の持ち主であれば、他人を苦しめたり悲しませたり、傷つけようなどとは決して思わないでしょう。 それは、自分がして欲しいと思うことを人にもするということなのです。 他人に為した行為は、いつか必ず自分にも為されるということで、それは自分が与えたものをいずれ自分が受け取るということなのです。

 私は地球に来て、慈悲についてのシンプルな教訓を学びましたが、それはどの惑星に生きる人々であっても、その人なりの学びがあるということと同じことです。また私の地球での人生は、金星のような進化した惑星に転生したからといって、過去世で作った自分のカルマという課題からは、逃げられるものではないということを証明するものでもあります。

 数十年前までは、人々は私が述べたような考え方を受け入れる準備はまだできていなかったでしょう。 しかし多くの意識や認識が新しい段階を迎えたことが、この本の出版を可能にしました。そして人々の私に対する反応いかんによっては、さらに多くの私の仲間たちが自らの出身を告白するようになるかもしれません。 私が地球に来ている個人的な理由以外に、私たちは地球人の意識というものについて非常に深い関心を持っています。 これは生命や宇宙についての基本的な理解に関わることであるとともに、全体における自分というものの認識に関わるものです。

 今の地球において私たちの全体的な関心は、地球人の精神的な覚醒(かくせい)に向けてある役割を担うことです。それは政治的、社会的な変革が私たちの直接的な目標ではないからです。誰の生き方もそうであるように、地球の人々の生き方は、自らの精神的な開花の程度だけ、あるいは個々の意識の目覚めの程度だけを反映したものに過ぎないということです。物理的な3次元的宇宙に生きる理由は、霊的な覚醒のためにほかなりません。ですから人々のどのような人生の局面においても、この大きな計画から逸(そ)れるものはないのです。

 地球には聖職者と言われる人々がいますが、それについての私たちの考え方も、おそらくあなた方が期待するようなものではないでしょう。つまり霊的な覚醒とは、宗教的な献身者になったり、または聖者のように生きようとしたりすることではないからです。私たちの精神的な教えとは、実際には高度な形の科学なのです。

 霊的なものと科学とは、本来一つのもののある側面を言い表しているに過ぎず、別々のものではないのです。その真理の一端に、神や命や死について、また来世や転生についてなどの理解があり、この側面が地球の人々が宗教的に、また精神的なものとして探求しているものです。 そしてもう一端のスペクトルには、物理的な宇宙とその法則の完全なる理解が示されており、それは驚くほど素晴らしいテクノロジーとして反映されているものです。

 過去の時代において、金星から地球へと精神的な指導者が送り込まれてきましたが、彼らがもたらした教えのいくつかは、その後宗教として発展したものがありました。その教えの多くは今日では、とても限定された意味での自由や英知、そして愛を教えています。しかし私たちはそれらの教えのどれをも非難することはできません。なぜならそれぞれの教えが、一定の意識レベルの信奉者を引き付けており、そのレベルは多様なのです。

 もしその道が一個人の求めているものを提供することができ、その人を満足させるのであれば、それは彼にとって良い方向だと言えるのです。けれども人が精神的に成熟すると、彼はもはや伝統的な宗教やそれらが示す探求の道に満足しなくなります。なぜならそれらには、何か重大なものが欠けていることを理解するようになるからです。

 私はテネシー州で過ごした子供時代に、プロテスタント系の教会に通わされました。その教えは私にはとても原始的に感じられました。私はこの国で出会ったさまざまな精神的教えに幻滅させられ、その制限の多さに苦痛を感じるようになりました。金星人たちは、人が作った法則よりも、自然のあらゆる面において神聖で自然な法則に従って生きています。これはまさに、地球と他の惑星との基本的な相違なのです。個人的な体験というものは「極めて自然な何か」なのですが、それは地球にある伝統的なあらゆる宗教や探求の道において、明らかに欠落しているものです。

 金星では、「オム ノシア ゼディア」と呼ばれる至高なる神聖な教えがあります。それは普遍的な教えのことであり、名前は変わることがあっても教えは変わりません。それは然るべき時に、そして人々が受け入れる準備ができた時にもたらされることでしょう。その「教え」は地球に植民が行なわれるようになった時以来、存在しているものです。

 そしてそれ以来、多くの異なる名前で教えられてきました。ある時にはオープンに、またある時には密かに、人から人へと伝えられてきました。レムリアやアトランティスの時代にはオープンに教えられていましたが、ほとんどの時代においてはカモフラージュして教える必要がありました。

 なぜならこの「教え」は、人々に自由をもたらし、気づきを与えるものであるからです。そのために、組織化された伝統的な宗教団体や支配者たちは、この「教え」は自分たちの繁栄と安泰を脅かすものであると考えています。それで、これまでにも権力者によって何らかの抑圧を受けてきました。そしてピタゴラス(紀元前5、6世紀のギリシャの哲学者、数学者)はその教えをマスターし、哲学という隠れ蓑に隠してそれを密かに伝えていた人でした。

 イエスは愛の英知としてその教えをもたらしました。このもっとも古い教えは、何千年もの間チベットで知られており、最初に地球に植民が行なわれた当時からここでは知られていたのです。ある時代に、強い勢力を持った宗教団体によって計画的に、この「教え」がしっかり抑圧されてしまったことがありました。そこで地球に再び、この「教え」をもたらすことが必要になり、そこでヒマラヤの奥深い場所が選ばれました。そこではこの「教え」の根本となるものが今日でも厳重に護られています。

 もしティサニァ(金星)の人々の進化にさらなる貢献をした要素を一つ上げるとすれば、それはこの「教え」の科学であると言えます。それは至高なる神聖な法則ともいえるものです。それは私たちに、時間と空間、物体とエネルギーという宇宙の最奥の秘密を発見させてくれました。さらに私たちは、人間そのものや心というもの、また意識というもっとも深遠な神秘の扉を開けることができました。

 これらのすべてが金星での生活において、そして地上の楽園のような世界として反映されています。金星には貧困や戦争はありません。そして私たちは病気というものも知りません。人々の寿命は何百歳にも及び、肉体の加齢は20歳から30歳の間で止まります。(訳者註: 物理的な世界の金星人の寿命は500歳をも超えるが、アストラル界に属する金星においては時間の概念が異なるようである。) 

 都市のサイズは大きくなく、シンプルなデザインで設計されています。そして犯罪は存在しません。金星ではずっと昔に磁気と太陽エネルギーが開発され、それが私たちの生活を根本的に変えました。宇宙とは私たちにとって最大のチャレンジの場所でもあります。 宇宙とは、常にさらなる学習ができるようにデザインされているところなのです。

 私たちの宇宙船は重力や摩擦、それに光速といわれているものからも自由で、私たちの宇宙船は光よりも速く飛行することができます。宇宙船の母船のサイズは何キロメートルにも及ぶものがあり、太陽系の他の惑星まで行くのに数日しか要せず、むしろ別の太陽系に行くほうがもっと速いのです。

 私たち金星人は、誰もが自分の心と意識の力についてよく知っています。あなた方地球人が超能力と呼ぶ能力は、私たちにとってはほんの初歩的なものであり、子供だましにしか過ぎません。テレパシーは私たちの通常のコミュニケーション手段です。そして私たちは未来を展望することも、過去世を思い出すこともでき、また思念の力で物体を動かすこともできます。私たちの多くは、時間の中を前進したり後退したりすることを学びました。しかしこのような能力を行使しようとする者は、その能力に対して責任が取れるほど精神的に成熟していなければなりません。

 ネガティブな惑星に生きていると、このような力をすぐ誤用してしまうことになります。 そして地球にもそのような人たちがおり、その能力を無分別に軽い気持ちで使っていますが、彼らはその代償を数多くの来世において支払い続けることになるでしょう。私はそのような能力はもっとも緊急を要する時以外は決して使いません。 そしてその際には、細心の注意を払う必要があるのです。

私たちはこの物理的な宇宙を越えた別の宇宙が存在することを発見しました。そして自由に、その世界を行き来できるようになったのです。金星においてはそれ自体が科学そのものになりました。 地球のある人々はこの世界を「平行宇宙」と呼んできました。 そのような世界は実際に確かに存在しており、そこでは別な秩序である座標の時間や空間、物質、そしてエネルギーが支配しています。

また時間や空間、物体、エネルギーを超越した世界も存在しています。 それらの世界を発見し、探求していく中で、私たちは「死」と呼ばれる神秘も解き明かすことができました。それは別世界の中の一つへ移行していくだけのことであり、それぞれの人生における単なる自然の側面でしかなかったのです。

 死は地球においては、依然として不可思議なものであり続けています。それは単に、これらさまざまな現実や存在を発見したり探求したりする人がいないからなのです。地球人たちには、これから解明していかなければならない宇宙における生命の神秘が、大きな課題として横たわっています。私の述べることが、あなた方の暮らす世界とご自身の内面の世界を、より深く探求し、解明していくことを願っています。

 私はたとえあなた方が、私の話す金星の話を想像の産物として結論づけたとしても、心を乱されることはありません。人間が創造したすべてのもの、またあなた方の周りにあるあらゆる人工物は、想像から生まれたものなのです。想像力とは人間のもっとも強力な能力であり、人間が超人類となるための鍵でもあるのです。想像力を有する人間は、神ご自身と等しい創造者なのです。

 (7) 私たちは限りなく経験を積んだ何十万歳の魂

 金星は、私たちの太陽系においてもっとも古く、より進化した惑星の一つです。私たちの祖先は遥か太古の時代から存在していたので、もっとも若い地球が生まれ、惑星として発達していく過程をずっと観察することができました。そしてそこが初めて人間の住める緑の星となった時には、訪問して探査することもできたのです。 私たち金星の文明は、個人として、精神的、文化的そしてテクノロジーにおいて発展を遂げ、地球の人々からは想像もつかないほどの域にまで達しました。ティサニアン(金星人)と地球の人々との根本的な違いは個人の自己認識にあると言えますが、それはいまだに天地ほどの開きがあります。何百万年にもわたる惑星の発達の度合いは、人々がいかに目覚め、気づきを得てきたかによって決まります。

 私たちが自らの文化や技術などの、あらゆる面における発展を語るとき、常にその功績は、「至高なる神性の法則」と呼ばれる、私たちの惑星の科学的教義に帰します。 なぜならそれは、精神性と科学という、2つの顔を持つ1つの叡智だからです。私たちは科学を通してのみ、非常に多くの領域で成長を果たすことができたのです。この科学の認識を通してのみ、あなた方は金星人の生活を理解することができます。この「至高なる神性の法則」がなかったなら、金星は今日の地球と同じであったでしょう。

 私は子供の頃に、大人と同様に、この「法則」の基礎をしっかり教え込まれました。なぜならこの「教え」の真実はずっと昔に見出されており、それが惑星全体の人々に理解されてきたからです。「至高なる神性の法則」がいかに貴重なものであり、その「教え」の基礎をしっかり身につけさせてもらえた自分が、いかに幸運であったかに気づいたのは、地球で暮らし始めてしばらく経ってからでした。私はすでに自分のカルマや、物理的な世界における人生の目的を知っており、3次元以上の世界も認識していたので、地球での悪夢のような自分の人生を生き抜くのがより容易になったと感じていました。しかし誰であってもこの「教え」に心を開く人は、物理的世界の問題を克服することができます。 いつの日か、「至高なる神性の法則」は、地球においてもその本来の形のまま認識される時が来るでしょう。そしてすでに、その種は蒔かれているのです。

 「至高なる神性の法則」を学ぶ人にとって生きた経験となる理解とは、「私、自分」を意味するものが何かということです。「自分」が何者であるかを完全に理解するようになると、物質的3次元の世界だけでなく、その他の世界における目的というものがわかってきます。つまり自分の正体に目覚め、全体像を認識できたとき、個人がこれまでの無数の生涯を生き抜いて得てきたすべての体験が完結することになります。「至高なる神性の法則」は霊的な教えであり、さまざまに異なった呼び名を持ちますが、試練に満ちた数多くの人生体験を通して、目標に到達しようとしているすべての人が見出せる「教え」なのです。

 この宇宙のあらゆる惑星に生きる個人は「魂」の存在であり、すべての存在がそれ以上でもそれ以下でもありません。 地球において「魂」という言葉は、長い間宗教や精神哲学によって用いられてきており、その本来の意味に近いものとなっています。しかし私たちの場合は「自分は魂だ」と自覚したり、それを信じたりするだけに留まらず、私たちは魂の体での意識的な体験を通してそれを『知っている』のです。魂はとても現実的なものなので、それを実感するために、誰も肉体の死まで待つ必要はありません。それは今、この瞬間に体験できるものなのです。

 物理的な肉体においては、魂は通常はちょうど眉間(眉と眉の中心)の奥に位置していると考えられています。しかし魂は、肉体が生きている間でもそこを離れることができ、体の1、2メートル上方や数キロ先、あるいは宗教的な表現で天国と呼ばれるさまざまなレベルの世界へ旅することもできるのです。 魂とは本来の自分自身であり、認識する自分のことです。 そして魂の本質とは、「神」と呼ばれる本質的存在の分身なのです。 つまり私たちすべての生命は「神」の分身なのです。

 自分の魂の年齢がどれほどであるかを知ろうとするのは意味のないことです。 なぜなら魂というもの自体が、時空を超えた存在であるからです。 私たちには多くの過去世があることを考えれば、軽く何百万歳にもなるはずです。 これらすべての生涯を通じて、あなたは個人で在り続けてきたし、肉体への最後の転生を終えた後でもあなたという個人であり続けます。 私たちは繰り返される人生経験の中で、さまざまな教訓を学びながら精神性を開花させてきました。なぜなら学び、成長し、そして目覚めていくことこそが、永劫の昔に私という魂が初めて、物理的な世界に入ることを決めた目的であったからです。

 3次元の物理的世界以上にある異次元、あるいは階層世界ではそれぞれに異なった振動率や周波数を持っており、そのゆえにそれらの世界が異なっている理由でもあります。 3次元の物理的世界の一つ上にある領域はとても周波数が高く、そこに住む人々はその世界の山々や建物や壁を、さらに人々さえも容易に通り抜けることができます。 3次元を超越した世界は、物理的な世界と非常に似ている部分がありますが、すべてにおいて3次元よりは遥かに美しく、ある意味天国のような様相をしています。 そこにもあらゆる種類の人間や都市や村落、動物、植物、山、海、砂漠、そして日没などもあります。 しかもこれらの世界は3次元世界のどんなに進化した惑星よりも途方もなく優美で、想像を絶しています。このように物理的世界のすぐ上にある世界はあまりにも素晴らしいので、「死んだ」後にここに住む人たちは、そこが究極の天国だと誤って信じ込んでしまうのです。

 私たち「魂」は、ただ最初から人間という姿に宿ったのではありません。 魂は可能な限りの経験を重ね、物理的な世界が提供してくれるすべての意識状態を実体験する必要がありました。 まず魂が最初に宿って体験する意識レベルは、鉱物の状態です。私たちから見ると、鉱物には意識があるようには見えませんが、体験できることが限られているような鉱物の状態で生きることは、自身の物理的な存在を理解する必要のある魂にとっては必要なものなのです。初めは私たちのほとんどは、自らに必要な体験に応じて長い長い期間を鉱物の状態で過ごします。 むろんあなたが本当に鉱物や岩そのものであったことは決してないのですが、あなたの魂は上昇を始めるにあたり、そのような形に宿っていたのです。

 鉱物の状態における意識レベルを体験した後は、魂は植物の状態を体験します。 植物としての魂は日光や風や雨を感じることができ、高次の生命形態をとる存在たちのための食糧として奉仕します。 地球だけでなく他の多くの惑星において、苔や草花、野菜や樹木として多くの生死を経験することで、魂は次の段階へ進む準備ができます。 それは動物の意識状態で生きることです。 それぞれの魂は自らの性質や個性に合った動物の形に宿ります。 動物の生命力も魂ですが、動物は常に独自の個性を保ち続けます。 魂は動物の意識状態において、ある種から別の種のものへと発展しながら多くの時間を過ごします。それは昆虫から爬虫類、鳥類、そして哺乳類へと、地球上だけでなく他の多くの異なった惑星での生涯を送ります。

 そして物理的な世界において魂が到達し得る、物質的発展の最終段階は、もっとも高次に進化した存在である人類です。それは物理的な宇宙における進化の頂点であり、この世界において、魂が最後の経験をするために用いられる形態としての肉体なのです。 肉体を持つ人間として、魂は可能な限り、あらゆる体験をする必要があります。1回の人生は進化の時間の中においては、ほんのわずかの小さな斑点のようなものにしか過ぎず、物質的世界で必要なすべての学びと成長のためにはあまりにも短い一瞬でしかありません。 しかも地球で生きる人間は寿命が短いために、転生のサイクルである144年を生き切ることさえできません。そのために魂は、人間として必要なすべての体験を得るために、何百万年もかけて輪廻転生という生まれ変わりを限りなく繰り返してきたのです。

 ですから歴史というものは、私たちの祖先の物語なのではなく、実は私たち自身の人生そのものなのです。 つまり私たちが自らの祖先なのです。私たちは誰もが多くの惑星において、あらゆる種類の性格を持った男性や女性、そして多くの異なった人種としての生涯を送ったことがあり、しかもほとんど数え切れないほどのあらゆる状況や境遇を体験してきています。 そしてその都度新しい肉体と心、性格をまとい、地上に戻って来るのです。そして一方で、下層世界に生命が存在し続けるために、新しい魂も絶えず創造されています。 「至高なる神」である創造主は、自らの創造物を通して存在し、常に一定の生命が宿る階層世界を維持しているのです。

 ( 8 ) 私たちは地球レベルを卒業しなければならない

 自分たちの過去世の記憶が閉ざされていることは、私たちにとっては好都合なことなのです。 なぜならその準備もなく、人がいきなりあまりにも多くの記憶の洪水に飲み込まれてしまうなら、最終的には隔離施設に送られることになりかねないからです。 これらの記憶は魂の知識の一部を成すものであり、私たちがそれを取り扱えるほどに成熟するまではあまり気づくことはないのです。 他の時空を超えた過去世の体験を幸いにも覚えている人は誰でも、下層世界である物理的次元にはいろいろと不完全なことが多いことを知っています。

 それではなぜ、私たちはこんなにも長い間、下層世界に縛られたままいつまでもここに留まっているのでしょうか?  それは私たちを浄化して完成させるために作り出されたネガティブな力が、できるだけ長く私たちをここへ押し留めておこうとしているからに他なりません。 そのために用いられる道具である「カルマの法則」は、「引力の法則」と同じように力を発揮し、私たちがその存在にすら気づくことのなかった遥(はる)か昔から、私たちを地球へ引き付けてきたのです。カルマの法則が目に見えないものであることを疑う人はいませんが、それがどれだけ現実的で具体的なものであるかに気づかず、知らないでいる期間が長ければ長いほど、人は物理的な世界により長く縛られることになるのです。

 それは、「自分の蒔いたものは自分で収穫する」ということで、自分の行ないは自分に向けられたものなのです。かつては地球上のほとんどすべての宗教や精神的探求の指導者たちが、この普遍的な法則を説いてきました。 しかし今日では、この法則を知る人は非常にわずかのようです。しばしば言われてきたことですが、心というものは便利な召使になり得ると同時に、その状態がどんなものであるかによっては酷い主人にもなり得るのです。

 魂は、濃密な物質である肉体を常にコントロールしていなければなりませんが、それができていないことがあまりにも頻繁にあります。聖なる霊である魂が心をコントロールしないならば、ネガティブな「カルマ・パワー」が支配権を奪い、その結果人を虚栄心や怒り、渇望(かつぼう)、貪欲さ、そして物質的なものへの執着という5つの激情(げきじょう)へ溺れさせることになります。 このような状態が新たなカルマの負債(ふさい)を生み出し続け、魂はより強くこの物質的な下層世界に縛(しば)り付けられていくのです。なぜなら、清算すべきカルマがある限り、再びそこへ生まれてこなければならないからです。肉体を持つ人間として、人は多くの輪廻転生を通して、その魂は自ら作ったカルマの「しがらみ」に巻き込まれていきます。

 輪廻転生を通してかつては誰もが、貧しさと豊かさや権力と非力、有名と無名、健康と病気、利発と愚鈍などの両方の立場を繰り返し経験してきています。しかしやがて魂はバランスというものに気づくようになり、この世界での転生のサイクルが終わりかける頃、自分はなぜ存在し、なぜここにいるのか、そしてどこへ行こうとしているのか、物質的世界を超えた世界は存在するのか、存在する偉大な力とな何なのかについて問いかけるようになり、その答えを熱心に探し求めるようになります。 そして宗教的な教えや伝統的な教えが、もはや自分を満足させないことに気づくようになります。この時点において人は、自分というものについて、つまり自らの感覚や思念、そして直感というものに気づくようになります。

 やがて人は自分を納得させる真理を求めて、物質的領域を超えた世界を意欲的に、意識的に探求し始めるようになるでしょう。 そして人の魂はもはや、現代の宗教には納得できなくなるのです。 なぜならそこには十分な真理も答えも存在せず、見出せないからです。 そのとき魂は、物理的な世界を超えた何かを求める準備ができているのです。そして人は霊的な教えを見いだし、魂について、そしてこの物理的世界に入って来る前の自分の存在について知ることになります。 そしてこの教えを意識的に学ぶことによって、「魂の旅」ができるようになることに気づくでしょう。 この技術と科学は、魂が肉体を一時的に離れることを可能にさせ、物理的な宇宙を越えた世界を訪問して探査することができます。 これはたとえて言えば、宗教が天国と呼んでいる場所を、死ぬ前に行って見てくるようなものです。そしてこの体験を通してのみ、死後の世界と生命についての真実の確信を得るのです。

 「魂の旅」は「至高なる神性の法則」の持つ主要な特色であり、他の教えとは一線を画すものです。肉体というものが、魂が学びを得るための乗り物に過ぎないことを理解するとき、人はもはや物質的で濃密な世界にこれ以上転生する必要を感じなくなります。 また魂がカルマを清算しなければならない領域は、何も物理的世界だけではないのです。 魂はこれまでにもアストラル界やコーザル界、メンタル界でも過ごしてきているので、当然カルマを作ってきているからです。 魂である私たちはより精妙で繊細な上層世界へ向かう旅の中で、まず下層世界でやり残していることをすべて片付けておかなければならないのです。

 カルマのしがらみと輪廻転生から解放されると、魂は霊的な世界にしっかりと根付くことができます。 そこは魂の世界(ソウル界)と呼ばれる時空を超えた領域です。 あなたはここで、自分が魂の存在であることを初めて完全に認識することになります。 このソウル界よりも5、6層上の領域には、さらに高次の霊的世界があり、そこは神の意識に到達した領域です。 ここにおいて魂は自身と至高なる神が同一つであることに気づきます。 魂はここで完全な悟りを得るのです。 この状態は、あなたが未だ肉体とともにある状態であっても到達することが可能です。 そしてここにおいてさえ、魂の成長は終わりではなく、その上には上があり、永遠にわたって常にひとつ上の領域というものが存在するのです。

 「至高なる神性の法則」は、あらゆる惑星に存在する教えです。 私たちはそれが金星の霊的な教えであることを公然と認識しています。 これは濃密な次元世界を超えたところに源を発する教えであり、宇宙の他のどの惑星においても実践されているもので、さらなる成長への準備ができている魂を助けています。 濃密な物質的世界には、その場所においてさらなる経験を積む必要のある魂のために、適応した独自の教えが途方もなくたくさんあります。 そしてそれらは、魂が密度の濃い世界から脱出できるほどの強さと気づきを得るまでは、そこに縛り付けておくために作られたものなのです。

 そこにある真理は限られたものでありながらその役割はよく果たされており、その世界における多くの意識レベルに対応できる多様性を持っています。 しかしながらそれぞれの人はその教えが、自分が求めている真理であって自分の内的欲求を真に満たすものであるのかどうかに注意し、そうでない教えには囚われないように気をつける必要があります。また真理を探究する者は、カルマの領域にある下層世界の一部を、霊的なものと間違えないように慎重にならなければなりません。

 今日のアストラル界(物質世界の一つ上の領域)を、そこが究極の天国だと信じ込んでいる人々が多くいます。 そこは確かに、物理的な世界よりも遥かに美しいところには違いありませんが、それは霊的に生きる人々が住む場所はどこでも、地球の人々にとっては天界のように思えてしまうからです。 けれどもどのような世界であれ、その世界はそこに住む人々の意識状態を反映したものに他なりません。 この原理は地球世界にも当てはまるもので、多くのネガティブなカルマを持った人々は互いに惹(ひ)かれあって一つの惑星に集まるものであり、その結果ネガティブな体験をすることが可能な状態を作り出してしまうのです。

 私は地球のすべてが、完全にネガティブな惑星だと言っているのではありません。 地球もまた、そこに生きる生命のためにポジティブなほうにバランスがとられるのです。 つまり濃密な物質世界に存在するどのような領域のいかなる惑星に生きていても、ポジティブに感じて生きるか、あるいはネガティブに感じて生きるかは、本人の態度と意識次第であるということです。 なぜなら自分の私的な世界を創造しているのは、自分の思考であり感情であり、思念の力であるからです。つまりは、あなたの意識的な気づきの度合いによるのです。

 すでにお話しましたが、金星もかつては現在の地球のように非常にネガティブな惑星であったのです。 そして何百万年もの歳月をかけて、金星の人々はある精神的な開花の段階にまで進化を遂げました。 それは特別なことではないのですが、それを未だ経験したことのない地球の人々にとってはそう見えるかもしれません。私たち金星の人々の精神的な成長と科学的な進歩はとてもポジティブなものであったので、わたしたちの文明全体が、もはや物理的な世界に存在する必要性がなくなったのでした。 つまり物理的な惑星として活動する金星はそのまま残りましたが、その文明とすべての人々はアストラル・レベルへの移行段階に到達したのです。

(9)人は自らの神性に気づく時すべての崇拝をやめる

 最初に生命が芽生えたのがどこであるのかを、物理的宇宙において理解しようとするならば、それは容易なことではありません。それはとても古い時代のことなのです。 まだ地球が生まれたばかりの頃から、私たちの太陽系の他の惑星には進化したすばらしい文明が存在していました。今日の地球の科学者たちは生命の起源を見つけ出そうと研究しており、また何千年、何百万年も前から地球よりも古い他の惑星の科学者たちも同じような試みを続けてきましたが、その努力が実ることはありませんでした。 生命というものは、物理的な宇宙で創造されることはないのです。 けれども状況が整うなら、それは物質世界を超えた世界から入り込んでくるのです。 そして人が神の意識を持った時にのみ、生命というものがどこから来て、なぜ存在するのかを知ることができるのです。

 すでにお話しましたが、金星、火星、木星土星天王星海王星、そして冥王星には、その環境に適した形態の人間が存在しています。そして冥王星よりも外側にある複数の惑星にはまだ人間は住んでおらず、名前もついていないと聞いています。 しかし私が金星を離れて後に、何か変化があったかもしれません。私たちの太陽系にはもともとは4つの惑星しか存在していませんでした。 それが水星、金星、火星、それに木星です。現在の12個の惑星のうちの残りの8個は、その後もずっと続いた自然のプロセスとしての創造と崩壊によって形成されてきたものです。

 惑星というものは、多くの地球の科学者たちが信じていることとは逆に、絶え間なく形作られては、壊されているものなのです。 ですから地球上での原子力の実験は非常に深刻な事態を引き起こしかねません。なぜなら過去において水星で起きたことが、地球でも起こり得るからです。かつて軌道の変化によって水星は太陽により近づき過ぎてしまった結果、人々は惑星からの脱出を余儀なくされたのでした。 幸いにもその当時はまだ土星には人が住んではおらず、水星の宇宙旅行の科学技術は、土星に向けて人々の避難を可能にするほど進化していました。 しかし地球の場合は、おそらくそういうわけにはいかないでしょう。

 「至高なる神性の法則」(自然の法則)の真理は、私たちの太陽系の他の惑星ではとてもよく知られており、受け入れられています。これらのすべての惑星に共通しているのは、地球とは反対に、霊的な法則のもとに生き、これらの真理を人生で最重要なものとして位置づけていることです。 私たちは同じ人間である仲間を物理的な存在としては見ていません。 また外側に見えるものは一時的な仮面に過ぎず、それぞれの生命形態が異なることはあっても、それは魂の表現そのものであると考えています。 ですから私たちは、すべての生命を理解することはしても、裁くことはしないのです。精神的に進化した惑星の人々はすべてカルマの法則を非常によく理解しており、自らの良き行ない、悪しき行ないのすべてに、いずれ真正面から向き合う時が必ず来ることを知っています。

 同じく彼らは、死とは終わりではなく、別の世界への移行に過ぎないことも知っています。「生命の法則」に気づいているかどうかは、人々の行動、生き方に大きな違いを生み出します。 もし「カルマの法則」が地球の人々に理解され、受け入れられるなら、地球の人々の生活は変容することでしょう。 世界を変える力は一人の個人から始まり、個人による内なる精神的開花によってのみ、地球を戦争と圧政の時代から脱却させることができるのです。 あなた方の世界にそれがあるのは、自分がまだそれを求めているからなのです。「もうたくさんだ」と心から感じた時に、人は成長するのです。

 私たち魂にとっての共通の敵とは、もちろんカル(ネガティブ)・パワーです。 この物質的世界では思考と感情が常にネガティブな物事の原因を作ります。 ですから思考と感情をコントロールすることが、すなわち運命をコントロールすることになるのです。 人間を通して発生するネガティブな流れは、5つの激情として現れます。 それが、怒り、貪欲さ、渇望、虚栄心、そして物質的な執着です。 これらの激情が人々においてよくコントロールされているとき、生命は飛躍的な成長を遂げることができます。つまり、このようなコントロールが為されているところには、対立や戦争は起きないのです。 この太陽系における最後の惑星間戦争が起きたのは、まだあなた方の社会が存在すらしていなかった頃に起こりました。 あなた方の人生に現れている外的な状況とは、常に心と感情の内なるコントロールを反映させたものなのです。

 地球の近隣の惑星から来ている人々を理解するために重要なことは、肉体的な外見を超えて、他の人々を受け入れようとする私たちの心の態度です。 私たちは自分たちの基準に他人を照らし合わせるのではなく、それぞれの人は魂の存在であり、下層世界とは学びの場に過ぎないという認識を持って人との違いを受け入れることなのです。 たとえば私たち金星人はもし地球上で、偏見を持った人や何か悪い感情を抱いている人に出会ったとしても、その人を受け入れます。

 なぜならその状況におけるすべてのことは、本人にとっての学びであるからです。私たちは誰をも批判したりすることはなく、誰も悪いわけではないことを知っています。 それぞれの人は、現時点における限られた知識と限界の中で生きているものなので、その時点で受け入れられることしか、受け入れることができないからです。すべての人は自らの経験と学びを通してのみ精神的な態度を変えることができ、意識的な気づきのレベルを上げることができるものなのです。

 私たち金星人はどのような状況でも、それを自らを成長させる経験として受け入れます。 それがいかにネガティブに見えるものであっても、それを表面どおりに受け止めることはありません。 私たちにとって、他の惑星に住む人々と親しい関係になるのはとても容易(たやす)いことです。 私たちは地球人よりも優れているわけではなく、ただ今回は、人生における多くの霊的な真理に触れられる環境に、生まれる機会を得たというだけのことなのです。 私たちのほとんどの人々は過去において、同じように地球での生活を体験してきています。

 地球のほとんどの人々は、自分自身に内在する「神の力」ともいうべきものに気づいていません。 そのために、その力を自らの体験を通して実現させてきた人々を簡単に崇拝してしまう傾向があるのです。 私たちは自分が何者であるかについて認識していますが、地球の人々も同じく自分自身の中に眠っている潜在能力を自覚することが必要であり、誰もが一個人として自らの進む道を意識的に選ばなければならないのです。

 (10) 他人の生き方を尊重して批判せず干渉しない

 自分のバランスを整えることと、他人に対して余計な干渉をしないということは、私たち金星人が何世紀にもわたって、大きな成長を遂げてきた人生の秘訣でもあります。 これは魂がより高い世界へ向かう旅の途中で精神的に進歩し、自己実現を成就させるために必須のものです。 しかし地球の人々はまだ、これらの教訓を学んではいません。不干渉であるとは、それぞれの個人の自由を認めるためにある「霊的な法則」なのです。つまりこの世界には同じ人間は一人もいないが故に、考え方や感じ方、反応の仕方、そして心の傾向やものの見方の視点は個人によって異なり、精神的な開花の度合いもそれぞれ異なっています。

 この「霊的な法則」とは、人間一人ひとりが持っている独自で私的な世界を尊重すべきである、というものです。 けれども地球ではこのことが認識も理解もされておらず、そのことが地球における今日の多くの問題の根底要因となっているのです。 もし人々が他人の人生に干渉する代わりに、自分の人生をコントロールしてより善いものにすることにより多くの関心を注ぐならば、世界中の問題はもっと少なくなることでしょう。そしてカルマは、人が他人の人生に干渉すればするほど、自分の人生も他人から干渉されるように働きます。

 干渉とは、人に対して「このようにすべきだ」と思ったり、ある基準のような考え方やものの見方を「他人も持つべきだ」と思い込むことがそうです。 私たちはそれぞれが自らのレベルに応じて、自分に必要な学びをしている魂の存在であると認識することで、他の人たちの自由を認めなければならないのです。 自分の考えや見解を強く主張して押し付けたり、相手が望んでもいないのに勝手に手助けしたりアドバイスを与えたりすることや、善意のつもりのおせっかいや、さらには相手のしていることは間違っていると判断することさえもが「干渉」に含まれるのです。

 それよりもなぜその人がそのように行動し、考え、感じているのかを理解しようとするほうが遥かに有益なことなのです。 そうすることで、自分自身をよりよく理解するための手助けにもなるのです。 私たち金星人は論争することがありません。 私たちが求めているのは理解することであり、相手が伝えようとしていることを理解することのほうが大切だと感じています。なぜなら私たちは自分の心の中にあることについてすでに知っているからです。

 人の人生において「バランス」は非常に大切なものであり、それは宇宙全体においても重要なことなのです。 それは下層世界において、人生におけるいかなる種類の極端さにも陥らないでいることによって、魂をこの時空から解放させることのできる一つの方法なのです。 しかし残念ながら、「バランス」の訓練を学んでいる地球人はほとんどいないと言ってもいいでしょう。 魂としてのバランスがとれているということは、つまり、すべてにおいてバランスがとれているということです。 それは食べることにおいてもそうで、人はポジティブな食べ物とカル・フード(ネガティブな食べ物)のバランスをとる必要がありますが、とても悲しいことに地球の「文明人」と言われる人々が口にしているもののほとんどはカル・フードなのです。

 欲望についてですが、人は常に、どのような物事や状況からもいつでも離れることができる状態にいなければなりません。そうでなければ私たちは、この世界の物事の奴隷になってしまうからです。 人はどんなことにも溺(おぼ)れたりせず、激情に駆られて対立したりしてはならないのです。この中庸(ちゅうよう)の道を行くということは、時に剃刀(かみそり)の刃の上を歩くことにも似ています。人は肉体に宿っている限りは、物理的な世界の物事を楽しむことができますが、それらの奴隷にならないようにするのが望ましいのです。

 ここでこのようなことをお話する理由は、人々が地球での生活においてバランスを達成するための手助けのためです。バランスは自然との関わりにおいても見出されねばなりません。 地球においては自然のデリケートな生態系に対して、すでに甚大なダメージが加えられており、それは現在も続いています。ずっと昔の遥かな時代に、金星と火星の住民たちは、自然を破壊する行為は自らを破壊する愚かな行為であることを、手遅れにならないうちに悟ることができました。

 彼らは自然を大切にし、敬うようになり、やせた土壌を再生させ、都市や村落を作る時も、自然を残すようにすることから始めたのでした。現在の地球の世界的な規模で見られる枯渇した土壌を見るとき、これらの土壌が改善され、成長促進剤として与えられるものや害虫駆除と称した毒物の化学物質の使用が中止されないならば、人類は21世紀を生き延びることはできないでしょう。

 (11)磁力というフリーエネルギーは社会を変える

 宇宙旅行は過去何世紀にもわたって、私たち金星人の生活に密接に織り込まれています。 私たちが自分たちの惑星の地表から離れる動機は、常に宇宙と自然の法則についてより多くのことを学ぶためでした。そして膨大な数の科学者たちや専門家たちが、母船と移送船で乗組員として働いています。下層世界において「変化」というものは現実世界の根本的要素であるので、私たちは常に何か新しい物事を観察し、そこから学び続けているのです。

 この点において、他の惑星と親しい友人のように同胞関係でいることは、多くの点でとても好都合です。 そして私たちは、互いに共通の興味や関心のある者同士が共同で行動するように、地球を除く他のすべての惑星は力を合わせて活動しています。 私たちは他の惑星やその宇宙船の困窮時にはいつでも援助できるように準備しており、他の惑星にはあまり豊富に存在しない鉱物や植物を分かち合う用意もあります。 惑星間の科学者たちはともに力を合わせて、素晴らしい想像力によって生み出される、さまざまな産物のための共同プロジェクトに従事しているのです。

 どの太陽系においてもカル・ナーア、つまり「ネガティブな子供」と私たちが呼ぶ惑星地球は非常に心配されています。金星の言葉では地球を呼ぶ名前の音は、Jhlata(ジュラタ) Geum(ジウム)です。地球のあり方はしばしば自らの生存を脅かしており、それだけでなく、同時にそれは近隣の惑星にとっても同じことなのです。

 ずっと昔には月は、私たち金星人が地球で任務を遂行するための基地であったことがあります。 私たちはここに精巧なコロニー(集団居留地)を作り、人目につかない谷間やクレーターに交通網を整えました。 これらについての事実は、近い将来により多くが明らかになるでしょう。 私たちの月面の施設の中には、母船が安全に操作できて、収容できるほどの巨大な格納庫があります。

(訳註:その後のNASAの写真などから、月面の谷間やクレーターの中を走るハイウエィや巨大な建造物らしきものが発見されており、多くの研究者が月面の基地の存在を指摘している。またかつてアダムスキーの側近であったキャロル・ハニーに訳者が直接聞いた話では、アダムスキーが見せてくれた複数の極秘写真は月面のクレーターで撮影されたもので、かまぼこ型の兵舎のような建物があり、背景には人々が写っていたという。しかしこの写真の公開を禁じたのが異星人か米国政府かについては語らなかったそうである。いっぽうハワード・メンジャーは実際に月面に降り立ったと主張しており、ドーム型の建造物などの写真を公開しているが、人物や装置の撮影は許可されなかったという。)

 地球上の人々に与えられる情報は操作されているので、人々は月面の真相について事実とはまったく異なった理解をするように意図的にコントロールされています。月は生命のない不毛な衛星などではなく、月は小さな惑星であり、太陽の周囲を回る惑星と同様に精巧な構造でできています。地球の月にはちゃんと大気層があり、人間が生きていける場所なのです。それだけでなく月の表面には水や植物、微生物、昆虫、そして小さな動物たちがいます。(訳註: アダムスキーもメンジャーもこれと同様のことを述べており、多くの人々から嘲笑された。) 

 月面の大部分は砂漠地帯であり、気温はかなり高くなっています。けれども私たち金星人や他の惑星から来た人々も、「環境ヘッドギア」を装着する必要がなく、屋外で生存することが可能です。人間の体は時間の経過とともに希薄(きはく)な大気の中にも適応していけるのです。私は子供の頃に、地球の月は人間の居住に適した場所であることを教わりましたが、その後体外離脱によって、実際に自分自身で訪問してそれを見ています。

 私たちのテクノロジーの飛躍的な発展は、自然の力に逆らうのではなくそれを利用した結果なのです。 私たちの宇宙船は、宇宙の自然エネルギーである太陽と磁力のエネルギーを使うことによって、驚異的な動きをすることができ、重力や摩擦の影響を受けないだけでなく、途方もない速度で飛行することができます。 地球上の観測者たちはレーダーの上を、私たちの宇宙船が信じられない速度で動くのを計測してきました。 それは時速数千キロのスピードで鋭角のターンをしたり、理論的には搭乗者全員の体を圧力で押し潰すはずのあり得ない加速や減速であり、そのような飛行物体を彼らは目撃してきたのです。

 その秘密は磁力と磁場、そして太陽光線の力の利用にあります。 すべての母船内には移送船と同じく、中央に軸のような太い丸柱があります。それは母船内では見えない場所に横たわっていますが、移送船内では中央船室の床から天井へと伸びているのが見えます。この軸は、宇宙船の磁気柱の役割を果たしており、船体の周囲に磁場を作り出しています。それはすべての惑星が大気層をまとっているのと同じ状態であり、それはちょうど地球に北極と南極があるように、宇宙船にも陽極と陰極があるのです。

 強力な重力磁場を生み出すために必要なパワーは、太陽から直接得ています。移送船の船体頂部のガラスのようなドームの下にある磁気柱の上には、稀少な種類のクリスタルが使われており、それにコーティングされたコイルが載せられています。 このクリスタルは、太陽エネルギーを非常に効率よく磁気エネルギーに変換します。 そしてコイルの下にある固体の黄金の柱を通して必要な磁場を生成するのです。 つまり「黄金」は、もっとも高性能な磁気の伝導体の一つなのです。いったんそれがきちんと調整されれば、磁場は移送船や母船を一つの独立した存在とします。 したがって私たちの宇宙船はそれ自体が一つの小さな惑星なのです。

惑星の影響から自由であることを無重力状態と呼びます。 しかし地球の飛行機や宇宙船は、それとは対照的に、地球の磁場と大気に大きく左右されるものなのです。 私たちの宇宙船は飛行中は、惑星自体とバランスを保った状態にありますが、動力をオンにすると、宇宙船は無重力状態になります。 惑星の地表を離発着するためには、宇宙船をほんのわずか推進させればよいだけです。 大気との摩擦は、船体を取り巻く磁場と高エネルギー場によって効果的に除去されます。それはあたかも宇宙船が、惑星の重力や大気の影響が及ばない深宇宙にいるかのような状態なのです。

 移送船内の磁気柱の極性は、地表での離着陸の際には抑制されています。水平飛行や上昇・下降は、船体底部にある3個の電荷を帯びた金属製の半球によって行なわれます。 これらは磁気柱と同様に、通常このタイプの宇宙船に見られる機械構造の基本的特徴の一つで、この型の宇宙船にはすべて備わっている推進装置および着陸装置です。 この船体下部の半球の中にも磁気柱があり、電荷を帯びています。 3個の半球が回転することによって、船体は別な磁力線の流れへと方向転換させられます。(訳註: アダムスキーによれば磁気柱のないタイプのものもあるという。)

 私たちの宇宙船は光速という不確かなものに影響されることなく、宇宙空間の活動によってのみ制限されます。なぜなら惑星付近において過度の速度で飛行することは、非常に危険だからです。けれども宇宙船がどのような激しい飛行をしていても、中にいる人は、船体の動きや加速を感じることはなく、また宇宙船は瞬時に停止することもできますが、それによって操縦士や乗員が体に圧力などの負担を感じることもまったくありません。 宇宙船の内部は微動だにしない部屋のように感じられますが、これは宇宙船が外部の力からまったく自由であるからなのです。 宇宙船が止まると同時に操縦士の体も止まり、船体の動きと連動している操縦士は何も感じないのです。また船体を取り巻くフォースフィールド(電磁場)は、空中での衝突も防いでくれます。 つまり宇宙船同士は互いに撥ねつけるので、乗客に衝撃を与えることはありません。

 しかし地球の飛行機にはこのような防護機能はありません。 私たちはまた、地球で宇宙船が銃撃を受けた時には急いで逃げます。 なぜなら飛んできた弾丸が船体のフィールドによって相手に跳ね返された結果、このことがある人々には宇宙船が撃ち返してきたと誤解されてきたからです。 宇宙船のフォースフィールドは隕石の衝突をも防ぐことができ、大気圏内の摩擦からも宇宙船を保護してくれます。 チタニウムで作られている母船と移送船の船体も防護に役立っています。これは普通のチタニムではなく、ある放射線で処理されたチタニウムであり、材質を半透明にする効果を生み出しています。ただし防護効果の大部分は、周囲を取り巻くエネルギー・フィールドです。母船は宇宙空間から直接エネルギーを取り入れて自家発電で航行しており、長期旅行用ではない移送船に必要なエネルギーは、母船内の保守点検区域で再充電されます。

 もし地球に磁力の秘密が伝えられたなら、人々の生活は必ず一新されることでしょう。 想像してみてください。もしエネルギーが無料で利用できるようになり、磁力で推進する宇宙船を誰もが使えるようになったら、一体どのような変化がもたらされるでしょうか。 しかし地球ではあるネガティブな地球外生命体につながる勢力が、強い支配力を持っています。彼らにとって、地球の人々により大きな自由と力を与えかねないものは何でも 脅威(きょうい)になるのです。それには「至高なる神性の法則」も含まれています。これまでのテクノロジーの分野においても、人々にとっては有益でも権力者にとって不利益となるあらゆる発明は、通常は圧力がかけられて非公開とされるか、あるいは破壊され、没収され、少なくとも信用を貶(おとし)めるための操作がマスコミを使って行なわれます。

(訳註: アダムスキーが金星人からもらった図形入りの金星文字をヒントに、フリーエネルギーの磁気モーターを開発したバンデンバーグは、アダムスキーの忠告を無視してそれを公表しようとした結果、その直後に行方不明になっている。ちなみにその金星文字とほぼ同じ図形文字が、1940年代に、フランスの考古学者のマルセル・オメによってブラジルの古代遺跡の岩絵に発見されている。しかしその英文書籍が出版されたのは、アダムスキーが体験記を出した後であった。)

 ニコラ・テスラは地球を援助するために金星からやってきた。地球の人々は、ニコラ・テスラに多大な恩(おん)があります。彼がいなかったならば地球の文明は今日のようにはなっていなかったでしょう。彼は一時期、トーマス・エジソンと共同で電気モーターと発電機を設計していたことがありました。 ナイアガラの滝の発電システムの開発を受け持っていたのはテスラでした。 テスラは70歳までに700以上の発明をなし遂げています。 しかしテスラは時代の先を行き過ぎていたために、エジソンは自分のものよりも優れていたテスラのアイディアを妬み、評判を落とそうとしました。 テスラは地球から得られる自然にある無尽蔵のエネルギーを利用するパイオニア(先駆者)であり、エネルギーを作り出すために、巨大な発電システムは必要ないことが分かっていました。

 しかしテスラによって、フリーエネルギーが人々に行き渡るようになることを怖れた石油を支配する者たちは、彼と彼のアイディアを潰すことに成功し、磁力の秘密が世界中に与えられるのを阻止することに成功したのです。テスラの次の言葉から、私たちは彼が目指していたことがわかります。

 「電線のないエネルギーの応用としてもっとも価値があるのは、飛行機を推進させることだろう・・・」。 彼の死後、テスラの研究施設は長年にわたって閉鎖され、彼の偉大さは人々の記憶からほとんど消え去ってしまいました。彼が、かつてこの地球に存在していたことを知っている人はごく僅かです。(訳註: 訳者がオムネクに確認したところ、テスラは金星で生きた後に、転生という形で地球に生まれたのだという。)

 (12)私たちは誰もが魂に至高の神を宿す存在である

 地球には混乱するほど多くの宗教や精神的な道、また秘教や形而(けいじ)上学のグループがあります。 地球にこれほど多くの相反(あいはん)する宗教や精神的な道がある理由は、人々が精神的に未熟で、まだ初期の発達段階にあるからです。 歴史を通して見れば、発達し続ける惑星はどこも似たような問題を過去に経験してきていることがわかります。 実を言えば、これらの宗教や精神的な道は、至高なる神によって確立されたものはほとんどありません。さらにごく少数のものでさえ、実際には同じ教えに異なった名称を与えたものに過ぎないのです。

 地球の宗教の歴史を振り返ってみると、あらゆる宗教やその他の霊的な教えは、それぞれ特定の精神的指導者や個人によって創始され、その教義はその人物の肉体的な死後もその弟子たちによって引き継がれてきました。 そのような人物として今現在も私たちによく知られているのは、イエス・キリスト、釈迦、モハメド、クリシュナなどそのほかにも大勢います。 しかしほとんどの場合彼らに共通して起きていたことは、彼らは一度ならず体外離脱を経験することで、ある上層世界に達したことがあるということです。

 それはアストラル界やコーザル界、またメンタル界などの下層世界で、そこだけに達した場合も、そこで英知を授かり、その後熱烈な使命感を持って人々にメッセージを伝えようとしたのです。 それは救いの福音であったり、社会的な福音であったりしましたが、いずれにしてもそれらのすべては、上層世界との接触がきっかけとなって生まれたものなのです。物理的な世界ではそのようにして、新しい宗教が誕生し、栄えていくのです。

 けれどもそれぞれの宗教の信奉者たちは、その後何世紀にもわたって、魂として基本的な誤りを犯してきました。つまり彼らは、創始者の歩んだとおりのやり方を真似ようとしており、それを追体験しようとしてきたのです。それは他の人が上層世界で受け取ったものと同じ英知と悟りを、自分も得ようとすることなのです。 そのようにしてやがてある信者たちは、さまざまな信念や方法に基づいて独自の悟りを得るようになります。 そうすると今度は彼らがその成功に基づいて、同じように枝分かれしたグループや分派を形成するようになるのです。このようにしてできたさまざまなグループや宗教は、個人にとってどのように役立つのでしょうか?

 それは人々をさらに強固に信奉者にしていくことになり、つまり外部の力に従う奴隷にしてしまうのです。それぞれの個人は誰の真似でもなく、自分自身の真理と直接的な体験をすることを求めなければなりません。 霊的な偉人たちは常にそのようにしてきたのです。 たとえ宗教の創始者であれ、霊的な偉人であれ、そこにどのような違いが認められるとしても、私たちは同じ人として、真理を求める立場においてはすべての人が同じなのです。 そのゆえにそれぞれの魂は独自な存在なので、誰か他の人が発見した探求方法や教えに従いながら、同じ成果を期待することはできないのです。 それぞれの人は精神的に開花していくにつれて、自分に合った自分だけのやり方で、独自の体外離脱体験をするようになるでしょう。 そのようにして私たちは霊的に成長していくのです。

 しかしながら多くの人々は、あるレベルの宗教や多様な精神的な教えを必要としています。つまりそこに、今自分の求めるものがあって要求が満たされるならば、これらの教えは良くないものと見なされるべきではありません。 なぜなら一人ひとりの魂はより高次の真理を理解するための基礎知識として、さまざま伝統的宗教や新興宗教、そして精神的な教えや哲学を求めるものだからです。いずれにしてもそれらの教えはそこに留まるためのものではなく、通過点に過ぎないのです。

 常に忘れてはならないのは、物理的世界やアストラル界、コーザル界、そしてメンタル界はネガティブな性質によって営まれているということです。 ほとんどの宗教や精神的な道というものは、長い間には、その世界の代理人たちによって手が加えられ助長されているものです。 ですから道を求める真摯な人々は、自分自身の真実を求めるように努めなければなりません。 そして人はやがて、これら第三者や他人の体験をあてにすることではなく、自身の内的体験に頼ることを学ぶようになります。なぜなら真実の教えが常に説いているのは、至高なる存在の霊的な本質は自らのうちに存在し、内なる「音」の中に聴き取られるものだということです。内なる音がとりわけ重要なものです。 魂は家路を示してくれる光線のように、「音」の流れを利用して真実の霊的な世界へと達しようとするのです。

 私の使命の一部は、あなた方の中で真実を求めている人たちが、本当の現実に目覚めるための手助けをすることです。その人たちのためだけに、この本は用意されたのです。 物理的な世界には他のレベルの世界にはない困難さがあり、そのゆえに多くの感情的な軋轢(あつれき)にもさらされます。だからこそ物理的な存在の経験はとても価値のあることなのです。魂はそこで何千回にも及ぶ人生を通して、より高い世界へ進むために必要な準備をするのです。ですから出来る限り多くのことを学ぶように努めなければなりません。私たちがすべてを知るようになることは永遠にないのです。

 私たちの誰もが、生まれてくる前に自分の人生を選んできています。けれども地球の人々の多くはそのことを知らず、そのゆえに自分が学ぶべきことであるのにそれに抵抗しながら多くの時間を費やして生きています。 人生に起こることはそれを受け入れて学ぶために存在するものなので、人生に起きることはなんでも受け入れて、やりこなしていくようにすることで、成長のペースが早くなり、自分自身や人生についてより深い理解が得られるようになります。

 私たち魂は、創造の瞬間から自由意志を与えられているものです。 ですから私たちは転生に際して、どのサイクルと期間に属し、いつどこで新たな人生を始め、どのような環境でどのような経験をするか、またどのような病気に罹(かか)ることで学び、生涯の目標や他人とのカルマによる出会いや解消など、すべてのことを選択して知ったうえで転生している者です。しかしながら物理的な世界では、強い感情やさまざまな出来事に遭遇するために、前世での記憶や自分自身で選択したことの大部分を忘れてしまいます。 しかしもし親や保護者が子供たちに、さまざまな理由で自ら選択してここに生まれて来ていることを思い出させるなら、子供たちはその記憶を呼び起こし、前途に待ち受ける人生の出来事をおおまかに予期することが可能になるでしょう。

 かつて金星では、人々の意識や考え方、それに日々の生活の暮らし方が変わっていくにつれて、人々のバイブレーション(振動)が変化するようになり、惑星の社会全体が物理的なレベルからアストラル・レベルへと移行していきました。 その変容はとてもゆっくりしたものでしたが、金星の人々は何が起きているかに気づいていました。 そこで人々は金星の一つの都市レッツをドームで覆い、そこを通じて物理的世界の次元へ入り込めるように機能を持たせて保存しました。 つまり金星の人々は、そこを通じて地球の人々の意識を高める手助けを続けていこうとしたのです。 アストラル界やコーザル界、メンタル界などはすべて物理的な世界と同時に存在しており、私たちの太陽系の惑星も、物理的次元だけでなく他の次元にまたがってクロスオーバーして存在しています。しかし物理的な感覚では、それ以上の上層世界に触れることはできないのです。

 この広大な宇宙は、多次元の平行世界になっています。 そして今、地球はかつての金星と同じような変容の時を迎えています。 地球の人々の意識は次第に変化しており、より高いレベルへと向かっているのです。 もしこの状態がこのまま続き、霊的な発展を遂げていくならば、まさに金星で起きたものと同じ変容がここでも起きるでしょう。 ただそれは劇的な変化ではなく、非常にゆるやかなプロセスになるでしょう。 それはとても自然なものであるために、多くの人々は自分たちが移行の過程にあることさえほとんど気づかないでしょう。 あなたが瞑想したり祈ったりするときには、穏やかで調和の中にある変容のイメージをすることにエネルギーを注いでください。それが地球の周波数を高めるためにあなたができることなのです。

 地球の多くの人々が意識レベルを向上させた時、わたしたち金星人は進化したテクノロジーを地球に提供するつもりでいます。そうすることで地球の人々も他の惑星を訪問することができるようになり、別の種族を攻撃したりするためではなく、太陽系の惑星探査のために宇宙空間へと旅立つことになるでしょう。 そしてその時が来るまで私たちは、太古の昔からずっとそうしてきたように地球を見守り続けていくでしょう。 地球上のすべての種族がお互いに尊敬し合い、国や民族の違いを乗り越えて、人類として一つの意識になる時、あなた方は本来享受できるはずの広大で、そしてシンプルで優美な人生を送ることができるのです。

(13)イエスの誕生 ①

 イエス・キリストについての真実の物語は私をもっとも魅了するものです。 これは私が金星の学芸院において、地球の歴史を学んだ際に聞いた実話と同じ内容です。 初めに申し上げておきますが私はこれをお話することによって、いかなる宗教や教義であれ、それらの信用を貶めたり、批判したりする意図はありません。 どうぞ皆さんなりに受け止めて、ご自由にご自身の人生に生かしてください。(訳註: キリスト教信者の多い欧米の出版社はこの章を本書に含めることを敬遠したために、今回の日本での翻訳が初めての公開となる。)

 地球という惑星の文明はまだ若く、これまでの歴史においても多くの浮き沈みに満ちています。 聖書の時代の空に認められていた宇宙船は、今日のUFOと同じくらい多くの人々にその存在が知られていました。 遥か昔から宇宙旅行者たちは、地球の発展の様子を観察するためにたびたび地球を訪れていたのです。地球に最初に住み着くようになった植民者の子孫たちは、自然の力を身につけたマスターとなるよりも、非常に脅えた人々になってしまったのです。

 それは地球にやってきたあるネガティブな宇宙人たちにより、彼らは遺伝子操作された結果、自らの遺産とそれまで持っていた能力を喪失させられて、もはや他の次元にいる彼らの祖先とコミュニケーションをとることも、高次元のマスターたちとコンタクトすることもできなくなっていました。

 その結果、彼らは宇宙について、神について、そして自分たち自身についてのもっとも基本的な真理に無知な状態にありました。彼らにとっての関心事は肉体の生存と安楽が最優先事項であり、中でももっとも怖れていたのは「死」でした。偶像や神の像が生活のすべてを支配し、生け贄の儀式は日常的に行なわれていました。

 人々を支配して自分たちの安逸(あんいつ)な生活をすることを企んだ人々と聖職者たちは、民衆を支配するために宗教を作ったのです。そのために、人々をコントロールするために欠かせないものは、規律と儀式、それに加えて罰という恐怖心を植(う)えつけることでした。そして人々のために制約の多い教義が作られて、制限の多い生活がもたらされました。

 このような時代に向けて、地球上である偉大な魂が誕生しました。 イエス・キリストという名で知られているこの男性は、これまでのすべての地球の歴史を通じて、最も論議をかもし、誤解されてきた人物です。地球に転生する前は、彼は金星においてマスターでした。彼は、彼自身の過去世の中で、最も大きな影響力を発揮していた時代にユダヤ民族とともに生きていましたが、彼らを無知へと導いてしまった者たちの一人でもありました。

 その後、精神的に高く進化を遂げた彼の魂は、霊的な教師として再び同じ民族の中に生を受け、彼らを精神的に導くことによって自らのカルマを清算しようと決意したのでした。そのために彼は再びユダヤ人を導くために、地球人として生まれ変わってきたのです。彼の誕生のいきさつには、惑星間における他の同胞の人々との関係も大きくかかわっていました。

 宇宙からの訪問者たちは、地球で起きている状態を見ながら、彼らも関与を始めていきました。火星人たちはしばらくの間、メキシコと南アメリカに滞在しながらインカの人々に影響を与えました。 そして火星人は素晴らしい教えをもたらしました。 彼らは偉大な力と英知を持って天から降りて来た存在として、また翼を持った神々や太陽神として人々に知られていました。

 エルサレムやその地域の人々が住む土地においては、宇宙から来た訪問者たちはエンジェル(天使)と呼ばれていました。 それは天の使いという意味です。 宇宙船で地上に降り立った彼らは常に白いマントを身にまとい、穏やかな天使のような顔立ちをした彼らを見て、地上の人々は彼らをほかに何と呼べばよかったのでしょうか?  当時の人々は空からやって来た彼らのような存在たちを神聖なものと思い込んだのです。

 そのために聖書の歴史は神や天使との遭遇の物語に満ちており、彼らの宇宙船もしばしば、「火の玉」や「輪の中の輪」などと拙(つたな)く描写されているのです。 当時の人々は進んだテクノロジーについて何も知らず、それをどのように受け止めてよいかもわからなかったのです。そのためにそれら未知のものは通常は、宗教や霊的な領域に分類されていたのでした。

 もし地球の聖典と呼ばれるものが、一般の人々が検証できるような情報をもっと書き残していたならば、イエスの誕生時に訪問したとされる「東方の三賢者」が実在した人々であることを知ってあなた方は驚くことでしょう。 彼らが誰であり、どこを代表して来ており、そしてどのようにして正確な場所と時間を突き止めて、現れたのかが明らかになるからです。

 あなた方の聖書に記されているこれらの出来事の背景には、偉大な真実があるのですが、その多くは意図的に書き換えられており、しかもわざと翻訳せずに残されているのです。 それは現在の地球の社会体制を作り上げて機能させている一握りの者たちが、人類のコントロールを維持するために行なってきたことなのです。

 他の次元世界や惑星にいるあなた方の兄弟姉妹たちは、イエスのように自分たちが行なったカルマを清算するための経験の場を求めて、また同時にこの地球という密度に存在する地球人類を援助するために、これまでにも、そして現在もやってきているのです。 それはこれまでずっと続いてきたことであり、これからもそうであるでしょう。

 その昔、マリアという若い女性がおり、あるとき彼女は、他の惑星から地球を訪れていた者たちの一人と出会いました。 ある日、彼女は一人で羊を導いている時、1機の宇宙船が近くに着陸し、そこから降りて来た「天上人」が声をかけてきました。 彼はマリアの純粋な想念を感知し、彼女が怖がっていないことを感じ取っていました。

 マリアは当然のように、彼のことを神から使わされた天使だと思い込み、畏敬(いけい)の念に打たれていました。彼女がそのことを彼に尋(たず)ねると、「はい、私たちはすべて神です」、そう彼は答えました。そして彼はマリアに、神について、他の惑星の人々についての精神的な洞察を与えながら、その日を共に過ごしました。

 その後2人はしばしば逢うようになり、やがて恋に落ちました。 そしてマリアが彼の子供を宿した時、彼は彼女に結婚を申し込みました。しかし彼女はそれは不可能であることを彼に説明しました。 なぜなら彼女のいる社会の文化では、異教徒と結婚した者は恐ろしい投石刑に処されることになっていたからです。

 しかしこれは、聖職者たちが自分たちの民族に他民族の血が混ざらないようにするために定めた戒律に過ぎないことを、その訪問者は知っていました。マリアはまた、彼と一緒に逃げることも怖れていました。それもまた自分の死を意味すると思っていたのです。 もはやマリアを説得して結婚させる術(すべ)はありませんでした。

 それから数週間が経過する中で、その訪問者は今起きていることについて、霊的な洞察を得ることができました。 この民族の間では何世紀にもわたって、預言者によっていい継がれてきたことがあったのです。 それはやがて神に遣わされたメシアが現れて人々を導くというものでした。それがまさに、マリアが授かった子供だったのです! このことを知った彼は、やがて生まれてくる男の子がユダヤ民族の中で育てられるべきであることに気づいたのです。

 彼はマリアがこの地に留まって子供を育てることに同意して言いました。 「あなたは人々に自分が伝えたいように説明して構いません。 ただし私は彼らに真実を告げようと思います。 あなたはここでその子と30年間を過ごせますが、その後の30年間は私が共に過ごすことにします。 その子がここで育っていく間、私は定期的に彼のもとを訪れて、彼の精神的な成長を助けることになるでしょう。」 マリアは彼の霊的な教えに基づいて、子供を育てることを承諾しました。 そして彼女は人々のもとへ行き、「天の使いが彼女のもとに現れて、彼女が神の子供を産むことになっていると告げた」と言いました。それが後に、「無原罪の宿り」と呼ばれるようになったのです。

 マリアは彼女の愛する人が神の使いであると信じていました。なぜなら彼は彼女と逢うときはいつも、輝く光のように空から舞い降りて来ていたからです。彼はそれはただの宇宙船であることを彼女に説明しようとしましたが、彼女には通じませんでした。当時はそのような機械類はまだ知られてはいなかったからです。

 一方で、ヨセフという名の男性がマリアを深く愛するようになりました。彼はほとんどマリアの全生涯にわたって彼女を愛しました。 彼はマリアよりもずっと年上でしたが、彼はマリアの話を聞き、彼女の言っていることを理解しました。 なぜならかつて彼自身もいわゆる「天の御使い」の一人と会ったことがあり、太古の地球の物語を聞いていたからです。

 ヨセフはマリアを心から愛(いと)しんで、喜んで彼女とその子供の面倒を見ようとしていました。 そしてマリアを嘲笑する者たちに対しては、子供は自分の子供だとさえ言って彼女を守りました。 人々は彼女が奇跡の子供を宿したことを知っていました。なぜならその当時はいろいろな奇跡がよく起きていたからです。

 金星や他の仲間の惑星から来た人々は、マリアの子供が精神的指導者になることが分かっていました。 そして彼らは宇宙船を使ってその地域のあらゆるところへそのメッセージを広めていました。 預言者たちは「神の子」の誕生を霊視し、精神的指導者のような人々の多くは「天の使い」の訪問を受け、この偉大な出来事を前もって告げられていたのです。

 真理というものは、偽(いつわ)りを説く者たちにとっては常に脅威(きょうい)となります。 ですから当時の宗教組織やその指導者たちは、その子の誕生に心を脅(おびや)かされていました。 このことが、ある一定期間内に生まれたすべての男児を殺害する命令へとつながっていったのでした。この危険を察し、さらに訪問者からの接触を受けたヨセフは、マリアを安全なところに連れて行って出産させようと考えました。

 ヨセフとマリアを安全な場所へと導いた星とは、実際には小さな小型宇宙船でした。 これと同じ種類の星ならぬ宇宙船が、三人の賢者や指導者たちをイエスが生まれた馬小屋へと導きました。 そして誕生の夜、宇宙船は星のようにきらめきながら、小さな馬小屋の上空を浮遊していました。

 (14)最終回 キリストの名が利用されて「キリスト教会」が組織された

 イエスの子供時代は何事もなく静かに過ぎていきました。ヨセフは大工の仕事をしながら家族を養い、マリアはイエスの父親から学んだ原理をイエスに教えていました。 イエスもまた定期的に父親と会い、彼から地球の歴史のすべてを学びました。 そして12歳を迎えた頃、イエスは自分自身の体験を通して学ぶために旅に出ました。秘教を学ぶことが目的の彼の旅は、エジプト、チベット、そしてインドにまで及びました。

 彼はチベット北部のカツパリ修道院の長であるフッビ・クウォンツのもとで、3年間教えを受けました。 そこで彼は「至高なる神性の法則」の秘密を学び、彼の霊的な名前である「ジーザス」と「キリスト」という名を授(さず)かりました。「イエス」は「ユダヤの王」という意味でもあり、彼の伝える教えが新しいものであるために付けられた「キリスト」という名は、「真理を運ぶ者」という意味です。

 その後、家族のもとに戻ったイエスは30歳になっており、すでに自分の民族に教え始める準備ができていました。彼には12人の弟子たちがいました。彼らはその性格や、イエスとのカルマ的なつながりや、そしてそれぞれが自分の人生で果たすことになる役割によって選ばれていました。

 イエスはそのうちの一人が彼を裏切り、もう一人が彼を否定するであろうことも知っていました。 彼はまた自分の亡き後は、シモンがその仕事を引き継ぐであろうことも分かっていました。 イエスは彼ら弟子たちに会った際に、内なる英知によってこれらのことを示されました。彼はとても霊的な人物で、精神的な法則について多くのことを知っていました。

 魂のさまざまな次元世界への旅や、各個人の能力に関する彼の教えは、おもに寓話(ぐうわ)のかたちで与えられました。なぜなら、彼のいた時代の人々の知識は非常に乏(とぼ)しく、あまり高い意識レベルに達していなかったからです。 「至高なる神性の法則」の原理は、キリストのメッセージの中に象徴的に示された言葉に認めることができます。 「最初に天の王国を求めよ」という教えは、人間は死によって肉体を去る前に高次元の世界を体験することができ、またそうするべきであるという意味です。 これは非常に数多く存在する例のうちのたった一つにしか過ぎません。

 人々の学びに必要な病気を癒したイエス。 残念ながら人々にとっては彼の教えることよりも、彼自身のほうがより重要なものとなってしまいました。 彼は精神的な指導者というよりも、崇拝される名士のようになっていったのです。 彼は人々を無知の状態から英知へと導こうとしていたのですが、ついに、何も分からない彼らへの哀れみのほうが上回ってしまったのです。 なぜなら、あまりにも多くの民衆が癒(いや)しを求めて彼にしがみついてくるようになり、彼はもはや、それを拒む意志を持つゆとりも持てないほどに、哀れみの情に呑み込まれていました。

 彼は多くの病(や)める人々を癒(いや)し、苦悩する人々を助けましたが、このようにして彼は、貧しく苦悩する人々への深い同情の気持ちに屈してしまい、彼らを癒すことが彼らに必要な「学びの機会」を取り去ることになり、やがて自分がその報いを受けねばならなくなることも分かっていました。

 そして彼はその報いを今回の人生で受ける必要がありました。なぜなら彼の今回の地球での転生が、物理的な体を経験するための最後の転生であったからです。ですからイエスが、「人々の罪(つみ)を引き受け、そのために死んだ」ということの意味は、「自らの学びのために病(や)むというカルマを抱(かか)える」人々を、彼が奇跡的治癒(ちゆ)により助けてしまったことで、まさにその人々の多大なカルマを背負わされた結果、そのすべてが肉体の拷問(ごうもん)による死という形ちで、報(むく)いとして帰結したということなのです。

 聖書にはキリストが荒れ野に行って祈(いの)ると、偉大な存在が彼のもとに現(あらわ)れたと書かれています。 イエスの父親を含(ふく)むその当時の他の惑星からやってきていた精神的指導者たちは彼に対し、彼は哀れみの情に屈(くっ)したことで自身の教えから逸(そ)れてしまったために、この人生において肉体的な苦痛を受けるか、あるいは再び地球に転生することでカルマを解消しなければならないだろうと告げました。

 イエスは最初はそのような報(むく)いを受けたくありませんでしたが、遅(おそ)かれ早かれ自分のカルマは自分で清算しなければならないことを理解してこう言いました。「私の願いではなく、御心(みこころ)のままに」。 彼は霊的な法則に従わなければならないことを知っていたので、先延ばしにして今の自分を守ろうとするよりは、むしろ受けるべき苦痛を今受けることによって、それを終わらせようと決意したのです。

 晩年にかけてキリストは非常に多くの人々を癒(いや)し、たくさんの奇跡を行いました。それはユダヤとローマの指導者たちに脅威(きょうい)を与えるに十分なものでした。 そしてやがて彼は追い詰められて捕(とら)われることになりました。しかし総督ピラトはキリストを深く尊敬していたので、彼が自分を守るために動くように説得に努めましたが、キリストはそれを拒(こば)みました。彼には自分の作ったカルマは自分で贖(あがな)わなければならないことがわかっていたからです。

 実は、ローマとユダヤの指導者たちは、アトランティスの時代に何が起きたかについて知っていました。 そして彼らはいくつかの古代のテクノロジー装置を、自分たちの権力とその行使のために隠し持っていたのです。 彼らはキリストがいかに彼らにとって危険な存在になりつつあるかが分かっていました。なぜならキリストは過去の歴史を曝露(ばくろ)し、彼らがある計画のもとに組織立てた「教会」に対して、人々に背を向けさせつつあったからです。

 彼らは1人の囚人(しゅうじん)を釈放することで人々に選択させようとしました。そうすれば自分たちが責任を負わずに済むからです。 それは殺人者・盗賊として知られていたバラバとキリストの、どちらを釈放するかということでした。彼らは群集の中に兵士たちを送り込み、バラバの釈放を叫んだ者に黄金を与えるという策略を行いました。

 キリストの名を利用してキリスト教会が組織された。 そして計画の第二弾は、キリストの処刑後に、キリストの名前を使って統一された宗教を組織することでした。 彼らはキリストが復活するという預言を知っていたのです。 彼らはまたカルマの法則についてもよく理解していました。 もし彼らが、未来の世代にキリストを崇拝させ、その子供たちに洗礼を受けさせ、その全生涯とすべての行ないをキリストのために捧(ささ)げるような信仰を持たせることができれば、それらの人々がもたらすカルマはキリストに負わされ、その結果彼の精神的な進化は遅れることになり、その結果ある次元に拘束されることになり、そうなればもはや、キリストは脅威の存在ではなくなると考えたのです。

 キリストが予想だにしなかったことは、彼を崇拝して自らの師と考える未来のすべてのキリスト教信者に至るまで、彼がそのすべての責任を負わなければならないということでした。 彼は自分のシンプルな教えが宗教にまでなり、自らが教えようとしたことよりも、自分自身の存在のほうがより重要視されることになろうとは夢にも思わなかったのです。 つまり彼を滅ぼす手助けをしたのと同じ勢力が、今や、手の平を返したように彼を担(かつ)ぎ上げ、彼を神の息子として崇拝させようとしていたのです。

 そして今ではユダヤ民族でさえが、彼らのためにやって来たキリストであるのに、その生涯が一冊の本になって全世界に広められるのを許しています。 それはあなた方が聖書と呼ぶ本のことで、イエスが教えた真理のいくつかは除外されています。 そしてほとんどの伝統的な教会にあるキリストの肖像は、拷問を受けて血を流している姿のものなのです。

 十字架上で苦しみながら、自分が癒した人々に嘲(あざけ)られながらも、キリストは自分が背負うことになったカルマのほとんどを解消しました。 その一方で彼は、人々を哀(あわ)れんで神に願いました。「彼らを許してください。彼らは自分たちがしていることを何もわかっていないのです!」 彼の苦しみはさらに度合いを増し、それは彼が思っていたよりもずっと長く続きました。 そして彼は、その苦しみが終わるまで肉体を去(さ)ることができませんでした。しかも彼の父親が宇宙船で接近して助けにも来てくれないので、彼は叫びました、「父よ、私の父よ、なぜ私を見捨てるのですか?」 

 しかしキリストの母星の人々はある計画を持っていました。 それは彼が「できれば苦しみを受けたくない」と彼の父に懇願(こんがん)したあの荒れ野で、彼の父はその計画をキリストに話してありました。 それは人々に対して教えるためであり、「肉体が死んだ後にも人生は続くこと」、また「肉体とは単なる魂の乗り物に過ぎず、魂はそれを離れたり、再び宿ったりすることができること」を示すことでした。 しかし、キリストの時代の人々は、肉体は死んでも魂は生き続けるという復活をそのようには解釈せず、キリストの偉大な奇跡の一つだと思ってしまったのです。

 キリストが息を引き取ると同時に、凄まじい嵐が巻き起こり、真っ黒な雲が太陽を覆(おお)いました。 これはキリストを信じなかった者たちを震(ふる)え上がらせ、後に書かれたキリストの物語において大いに強調されました。 この嵐は実際には、キリストの信奉者たちによる集合的なサイキック・パワーによって引き起こされたものでした。 彼らは怒りの神こそ絶対権力者だと信じていたのです。

 キリストの死後、彼の遺体はマリアやキリストの友人たちによって用意されていたお墓に移されました。 権力者たちはその遺体が人々によって盗まれないように墓に護衛を配置しました。 しかし実際には彼らは、キリストの遺体がある者たちによって運び出される計画を知っていたのでそれを防ごうとしていたのです。

 そして宇宙船がキリストの墓の近くに着陸したとき、護衛たちはその光と強烈なエネルギー場の影響で気を失って倒れてしまいました。 そしてキリストの遺体は修復のために運び出されました。 遺体の肉体の修復のために彼の父親が準備をしている間、キリストは彼のアストラル体の中で待機していました。なぜなら死後24時間以内の肉体は、細胞と組織を再生する放射線によって修復することが可能なのです。そして魂は再び、その中に宿ることができます。

 キリストの墓にやってきて、彼の遺体が消えていることに最初に気づいたのはマグダラのマリアでした。 彼女は意識を取り戻してから眼の前で起きたことの詳細を思い起こしました。 彼女がちょうど墓に着いた時、そこにはきらめく長い衣服をまとい、輝きに包まれた天使たちがいました。 そしてマリアに、キリストは生きているという知らせを告げたのでした。 彼女の記憶では、彼らは墓の入り口の大きな石を転がしながらこう言いました。 「怖れてはいけません」。彼女は天国から来た天使たちがイエスを癒(いや)したのだと信じ、彼を探すために出かけて行きました。

 聖書には、キリストが多くの信奉者たちの目の前に現れた時に、彼が話しかけるまでは、彼らは誰もそれがイエスだとは気づかなかったという記述が多数あり、またキリストの墓のそばに、光沢のある長い衣服を着た存在たちがいたという記述も複数あります。 マグダラのマリアの前に現れたキリストはこう言いました。「私の体はまだ完全ではないので、私に触ってはいけない。私はまた戻って来る」。

 彼はこのようにして大勢の人々の前に姿を見せ、アストラル体によって扉や壁を通り抜けました。 そして彼の肉体は宇宙船内で修復されて後、そこに再びキリストの魂が宿ったのでした。 それから彼は再び人々の前に現れて体を示し、彼らがそれに触り、傷口に手を触れることを許したのです。

 彼は人々に言いました。 「私はここを去(さ)ります。それは天におられる父のもとでともに暮らすためです。」 人々は彼の説明を、自分たちに理解できるように最善を尽くして解釈しました。 つまりキリストが宇宙船で去ったことを、天国への上昇と言う表現で伝えたのです。 その後イエスは父親とともに地球へ戻ってきて、マグダラのマリアと結婚し、のちにサラという娘をもうけました。 そして彼は再び肉体の死を迎えるまでの長い間を地上で過ごしました。

 キリストはその後も、彼の同胞民族たちの多くを、彼らの多くの生涯にわたって導いています。 キリストは自分自身に救いを見出したすべての人々に対して、精神的な責任というカルマを負っているのです。 そのために彼はそれぞれの個人の指導をできるだけ引き受け、一人一人をキリスト教から離れさせ、そのような枠を超えたより偉大な霊的な道へと導いています。 彼がこのようなことをする理由は、下層世界であるコーザル界に自分を引き止めているカルマから解放されるためなのです。

 そしてキリスト教化された地球の多くの領域では、あらゆる行為が彼の名のもとに行なわれています。 あらゆる戦争が彼の名のもとで戦われ、あらゆる子供たちが洗礼を受け、あらゆる人々がキリストの名のもとに自らの人生を生きています。 このような状態がさらに彼を下層世界に縛り付ける鎖となっているのです。

 つまりキリストが全ての誤解から解放され、キリスト教のもとにいるこれらすべての魂たちが、本来の真実の霊的な道に出ていくまで、キリストは下層世界の時空であるコーザル界に留まっていなければならないのです。 この下層世界のコーザル界にある天国のような場所は、集合意識によって創られたものです。 その集合意識とは、この地球上におけるすべてのキリスト教徒の信仰が作り出しているものなのです。