人間の中のキリスト(神我)が彼らの理想でした。それは、いわば、常に光を放って燃え続ける炬火(たいまつ)であり、笏(しゃく)の頭〔王の権威の象徴〕でした。この炎に空気を送って、いやが上にもその光を増し、人々にその教えを忘れさせぬために、これらの教えが一冊だけでなく十二冊もの聖書に記録されたことです。外部や内部からの破壊を防ぐために、同じように十二の聖書を石に刻んでムー大陸の処々方々に保存し、後にこれらを一つにまとめて永久保存するために大ピラミッドが建造されたのであります。

 かくして普遍なるキリスト(神我)は、文明の淵源であると同時に金剛不壊であり損ずることも除き去ることもできないことが証明されました。それは光を高くかかげるビーコン(目印)としてのみならず、その光の反射塔としても又、永久に存続して行くでしょう。更に、それは単に光を反射するだけではなく、屡々(しばしば)繰り返されてきた天命を放送してもいるのです。即ち曰(いわ)く、『もし人類にして光を失わば、深く沈潜せよ、汝ら其(そ)の光を新(あら)たならしむる教えの録(しる)されてあるを見出さん。曾(かつ)て光を奪われ、放浪する迷える羊たりし汝らより、光再び輝き出でんがためなり。』

 神にとっては、光(生命)なくしてさまよう者はすべて群れより離れ迷う羊である。しかし実はその群れは常に今、此処(ここ)に在るのであって、それに気づいて戻りさえすればよい。キリスト(神我)即(すなわ)ち羊飼いは、炬火〔たいまつ〕を高くかかげて羊(現象我)の入って来るのを待っている。キリスト(神我)は長き年月かくされてきたが、光を求めて来るもののために、常に今此処(ここ)にあるのである。

神我こそは大宇宙の始源の顕現である。神の声、神の言葉が語られる、『此処(ここ)に光り在り。彼処(かしこ)に光り在れ』。かくてバイブレーションが閃(ひらめき)き出るや直ちに生命が現われた。この生命が神より離れることの決してないことは、かの大ピラミッドがその基底(きてい)を大地にしっかりと踏(ふ)んまえ(踏まえるを強める意)、冠石なき頭を空に挙げている事実が証明している。

 人がその真の遺産たるキリスト(神我)を受け容れ、神のキリスト(神我)こそ自分の真我であって一切を支配するという事実を受け容れた時、始めてピラミッドの王冠即ち冠石(かんむりいし)はのせられるであろう。その時、それは人がもはや群れ(神我)より二度と離れ迷(まよ)わなくなった事実への永遠の証人として屹立(きつりつ)するであろう。