神とつながり、覚醒するためには、教義や何らかの「形式的なもの」つまり、儀式や祈りやチャンティングや断食や瞑想といったものが不可欠だといまだにおもっている。だが、こういったことをすればするほど、あなたは自分の魂に、自分はまだ自分がなろうとしているものではないこと、そして自分はまだ神の愛や自分が求めている理解から遠く離れていることを、さらに強く確信させることになるのだ。

 貴方の内に燃える全能の神というこの火、人類と呼ばれるこの物質での知性を通してそれを体験すれば、神とはいったい何なのかについて、完全な視野を与えてくれる。そして、神の何たるかをすべて完全に理解できたとき、内面、外面の宇宙や、物質、肉体、愛、よろこび、哀しみ、それらすべてが理解できたときに、あなたは父なる存在そのものになる。

 自分の背中にのしかかる重荷を抱えている者は、もしそうすることが自分を幸せにするのであれば、そうしなさい。だが、もしそれから学ぶべきものをすべて学び、いいかげんうんざりしているのなら、そんなものは捨ててしまいなさい。

 どうやって? それらを愛し、抱き容れ、自分の存在の中にそれらがあることを許すことによってである。ひとたびあなたがそうしてしまえば、それらが再びあなたを押さえつけることはなくなる。

 そしてそのあとは、生きることのすばらしさを透明な視界を通して見ることができ、愛を価値判断なしに感じることができ、存在することの喜びが、無限の「知っている状態」の力となることができるのである。

 自分の人生を抱き容れなさい。自分が神聖なる存在であることを知り、これまで自分がしてきたことすべてがあったからこそ、自分の存在の強さがあるのだということを知りなさい。

 罪悪感を持つのをやめなさい。悲しみに浸るなどという、馬鹿げた演技はやめなさい。自分に重荷を背負わせるのをやめるのだ。自分以外の誰かを責めるのをやめなさい。自分自身でその責任を負うのだ。それはあなたの責任なのである。

 あなたの思考プロセスから価値判断を取り除くための最も容易な方法は、自分のフィーリングとそれらを生み出した思考に気づくことである。単にそれらに気づくことによって、あなたは自分の思考をより純粋なものにしていく方法を身につけるのである。

 不幸や悲しみ、怒りや恐れ、焦りや分離、あるいは何でも自分にとって好ましくないフィーリングを感じたときには、自分が何を考えているかを調べてみてほしい。やがてあなたは、自分の変質した思考(つまり自分や他人に下す価値判断や、生をいろいろな側面や要素に分割する見方)と、自分の不快な感情との間にある繋がりに気づくだろう。

 「在る」とは、自分がどのようであろうと、その状態でいることを自分に許すこと、そしてその状態の自分を完全に愛するということだ。それは、自分が感じていることが何であれ、それを感じ、その感情を生きるということだ。

 「在る」ということは、完全にその瞬間の中だけに生きることである。ただ在る状態では、あなたの思考は過去や未来の中を彷徨うことをやめ、「罪悪感や後悔、あるいは「しなければならない」「すべき」などにとらわれなくなる。

 他の存在たちが人生でそれぞれの表現をしているのを見る時、絶対に、彼らを「在ること」以外のものとして見てはならない。もしあなたが彼らの表現に対して、いいとか悪いとか、プラスだとかマイナスだとか価値判断を下せば、あなたは自分の中に変質した見方を創り出すことになる。そして、あなたが知覚したものが何であれ、あなたはそうなるのだ。なぜなら、あなたの存在の内面で、その思考がひとつのフィーリングとして記録されるからである。つまり、あなたが犠牲にするのは、自分自身なのだ。