選択話法   ➡「私は某コンサートホールで誰それの名曲を聴く」(第三者の視点から配列し直して表現する)

動態風景話法 ➡「会場全体に流れ下る美しく心に響く旋律」(分離した個体はなく、知覚の顕現それ自体を直接的描写する)

選択話法をはじめとして「主語+述語」を基本とする文体は、人間が宇宙との一体感を喪失し、かつ自然から分離され、自他の区別が生じた意識段階において形成された表現法である。動態風景話法は「述語座標系」に対応しており、それは述語文の「重ね描き」によって成る多次元的話法である。動態風景話法の表現の特長は、全体性の中で事象・事物を把握できること、つまり、「他との関わり」や「全体における作用」と多次元的に事象・事物を把握できることであり、意識のパラダイム・シフトへの展望が開かれる。

盲人が象をなでて全体像を知ろうとする場合に、あらゆる角度から、対象について知覚像を得ようとすることと同じように、本質を知るためには、多角的にアプローチする必要がある。知覚の現場は、「世界」と「自分」を統合する場であり、そこは主客二元論を峻拒(きっぱりと拒むこと。)する場として常に回帰すべき「場」である。意識上の能動的知覚によって世界は解釈され、世界は意味付けされ、そして意味が付与されることによって、絶えず新たな世界として創造され続ける。近代科学が描写(びょうしゃ)する世界像は、極めて偏(かたよ)った不完全なもの。「素粒子」や「場」といったものは、受動的五感機能によっては知覚され得ず、「思う」「考える」といった能動的知覚によってのみ初めて存在が認識されるもの。量子理論では、一切の存在とは蓋然性(がいぜんせい)の支配下にある作用であり、流動性においてのみ確認し得る。実体はなく確率的にしか存在し得ないのであり、主語となり得るものはなく、ただ在るのは「作用」即ち「述語」になり得るもののみ。世界が、思いの作用に満ちた心の風景として、動態的で多様性をもった相貌で現前する時、近代的科学観がもたらした受動的で死物的な世界観から解放され、能動的で活物的な世界観を獲得し得る。