ラコタ語の「ミタクエ・オヤシン"mitakuye oyasin"」とは「われわれを創られた存在がわれわれとなられた」というのが本来の意味。アルバート“ホワイト・ハット”サーというラコタ出身のラコタ語の大学の先生はその意味の深層を「わたしは天地創造で生まれたすべてのものと親族関係にある」「わたしは一本の木に親戚として話しかける」「わたしはひとりの親戚として風に、太陽に、月に話しかける」「われわれは礼拝することもないし、頭を下げることも、ひざまづくこともしない」けれども「わたしはひとりの親戚として木と踊る」「わたしはひとりの親戚として木と働く」「必要になれば、われわれは西に向かい、西の方にいるすべての親族関係にあるものたちにまず呼びかける。つぎに東に向かい、東の方にいるすべての親族関係あるものたちに呼びかけ、それから北の方、そして南の方のつながりあるものたちに呼びかける」「祈りはタバコの煙にのってふわふわと漂ってゆく。他のものたちはそれを受け取る」「われわれはそのようにして天地創造で生まれたすべてのものと交わる」ということであると語る。