人間は自分自身について無知のままだといかに小さく無力であるり、知識の中に身を置くと偉大な存在となる。望むことを通じて何かに長い時間思いを馳(は)せれば、人はそれそのものになる。逆に自分はみすぼらしく、魂もない存在で無力なのだと自分に言い続ければ、それを信じるようになり、実際にそうなってしまう。結局、すべての人間は自分の望む通りの存在になっている。他人を批判することは、自分にそのままその制限をかけることになる。だから自由な存在の神が人間に対して戒律をつくることはありえない。「何を信じればいいか?」「どう生きたらいいのか?」と答えを求める事は、他の人間の考えの中に神を見つけようとしている。自分が正しいと感じることだけを実行する。内面深く感じることを覚える。宗教は教義を振りかざし、制限を課して、特定の価値観で判断を下す。この地上界で最高の宝は感情である。自分がどう感じているかは自分にしかわからない。自分自身の真実を生きる至高の存在となる。真実の神とは在りて在るもの、存在の全てであり、価値判断を一切しない愛の神である。陰鬱(いんうつ)で恐ろしく、怒りに満ちて、常に人に審判を下し、長広舌(ちょうこうぜつ)をぶち、一部の人間を断罪・弾圧しながら他のものを誉める神は、人間の頭の中にしか存在しておらず、人間とその意志が創造した偽の神である。