社会意識とは   

 慣習・道徳・思想・世論などにみられる、社会共通の意識。社会に対する関心や考え方。生存。因襲。村社会。世間体。世間のしがらみ。常識。善悪・損得。正誤などの二元的な価値判断。恐れ・不安・怒り・強欲・嫉妬・憎しみ。認められたい。好かれたい。誉められたい。自分の外側(他人・神も含む)の関係は、すべて小我・個我(エゴ)・肉体の生存を維持するための意識。

キリスト意識 

 ただ単に望むこと。すべての願望をを許すこと。自分の在るがままをすべて愛すること。ねばならない。すべきなどの思いの呪縛(じゅばく)から解放されて二元的な価値判断を超越すること。自分が受容されるというレベルを超え、審判を超え、時間という幻影を超える。「自分の内なる声(心の声)だけに耳を傾けるようになること。喜びと感動の道」とは、本源である神の望み・真我の望みである。

先ず、第一に実相である神我が内在するという信仰がなければならぬ。信仰はやがて智識となる。次にこの内在の神我を祝福し、それに感謝するようにすれば、やがてそれは目に見える状態となって実現する。まこと人間は神我そのものである。これこそが一切の知識を得る道である。

生きる目的   

 自分の存在の内にある想念を何でも表現(体験・体感)していくということ。それに伴う感情。自分が望むものになる。とは、瞬間瞬間にそれを変えることも出来る限りなき自由がある。神とは、善・悪・正義・邪悪・完全・不完全などの価値判断を一切しないもの。「在るということ」は、魂が叡智の中で自己を満たしていくために必要な感情面の体験(内なる声・心の声・フィーリングに従う)をすること。心の命ずるままに行動している時は、ワクワクしよろこびの状態になり、その体験から新しい発見や気づきを得た時に至福を感じること。そのことが全体生命の進化に貢献していることになる。自分の気持ちに嘘をついているときは、不快感や違和感を感じてその状態がつづくことによって精神や肉体の病気になる。(癌はその典型)。自分の心の声に従わないとは、世間体・常識・打算・法律・ドグマ・因襲・その場の空気・固定観念・既成概念・「すべき」・「ねばならない」他の人間(自分の鏡)に対して下す審判や制限や批判は、自分の意識の内面でもやはりひとつの法となる為、あなた自身に対しても審判や制限や批判をすることになる。自分のしたいこと以外に人生でしなければならないような義務は何もない。自由意志により殺人を選んだ際、人は強烈な罪悪感と自分に対する審判(神は審判を下さないが、その人間が普段他人に対して行っている価値判断に従い自分自身の想念のカルマによって審判が下される)とその行為が自分に跳ね返ってくるという恐怖の念のもとで生きることになる。カルマとは人間の価値観に由来し善悪・正邪・パランス・完全・法律・理想などの判断から人間が創った法であり、神は一切の価値判断や制限をしない。神が価値判断や制限をした時点で神ではなくなる。カバラもカルマも通過儀礼(イニシエーション)も人間が創り出したパランスの法則(「完全なるもの」の法則)。努力を積み重ねることによって完全を目指すこと。完全を目指すことは同時に不完全なものを認めることで新たに創り出すことになる。分離・価値判断・制限を受け容れることになる。カルマの解消・解決すべき何か・義務などは一切ない。貴方以外の他の人を直接“変える”事は出来ません。それぞれの人間が見ている世界は、それぞれの人間の思考により創られているので他人の思考を強制的変えることはイエスや釈迦でもできない。真実を知らせ本人が自ら確信する以外に現実を変えることは出来ない。強制的に変えよとすると必ず副作用で新たな問題が発生することになる。過去の歴史を見れば、過保護や過剰な援助を行った人は良かれと思ってしていたにも関わらず、他人に与えられたものは依存心とエゴからくる猜疑心・疑心暗鬼から分裂や紛争を新たに作り出してしまった。

光を発する(智慧を与える)・愛を感じる(智慧を受ける) = 愛を感じる(智慧を受ける)・光を発する(智慧を与える) 自分・他人(鏡に映った自分)。

  自分自身が自由で在るためには、他人を批判しない。他人を批判することは自分を制限することと同じこと。世の中にはやってはいけないことがあると規則を自分で造ることになる。