聖書の神が述べる【心】には、何が含まれますか?

「心から愛する」事の本当の意味を理解するためには神と心についての理解が必要です。理解する、知るとは「直知する」と言うことです。ここで説明することはキリスト教等で唱えている「神」に対する教義とは異なるかも知れません。聖書に出てくる「父なる神」「母なる神」「十字架を背負う」「愛」について考えてみます。十字架とは縦の愛と横の愛を意味しています。縦の愛とは父なる神、母なる神と我々との愛を表します親子の愛です。。横の愛とは同胞愛、兄弟愛を意味します。肉体的な意味での親(父母)や先祖、イエスキリストなど全ての肉体を持ってこの地上界に誕生した人間は全て横の愛ということになります。ですから神からするとイエスだけではなく全てが神の「一人息子」なんです。イエスが我々の「罪」を背負いその象徴が十字架ですがこの「罪」とは「縦の愛」「横の愛」についての無知のことです。この無知が最大の罪なのです。これが神への裏切り(分離)です。次に神について考えてみます。旧約聖書に「神はご自身に似せて人間を創造した」と書かれていますが、ここで根本的な誤解があります。神が創造した人間とは肉体のことではありません。我々が肉体を自分だと思っているために誤解したのです。神は人格的な存在ではなく、神に似せて とは全き自由な創造力=愛のことです。「我と神とは一体なり」「我は神なり」イエスの語った言葉の意味はこのこと故(ゆえ)に発せられたのです。人格神とは実はイエスがそうであったように我々のことを意味しているのです。では「神」とは何か・・・全ての根源である普遍意識(生命)エネルギーが父なる神であり、全ての根源である普遍の智慧と質量を母なる神と表現しているのです。聖書の中でイエスが「我を見るとき汝は父なる神を見たのである」と言われた意味がこれです。イエスもその弟子たちも我々も全て神なる生命(イエスに宿った命も我々に宿った命も同一の神ご自身です)に依(よ)って生かされていて、この肉体も母なる神の智慧と質量に依って創造されているのです。故に神の子なのです。そして愛とはこの三位一体(意識、智慧(ちえ)、質量)=完全調和のことです。(イエスに宿った命も我々に宿った命も同一の神ご自身です)「心を尽くし、魂を尽くして汝(なんじ)の隣人を汝自身の如く愛せよ」と聖書の中にある言葉ですが今まで説明してきたことの理解がこの言葉の裏に隠れています。神は全であり、全は一、一は全、全ては神と一体であり故に我は全てと一体である。このことを真に理解することに依って「心から愛する」ことが出来ます。そのために唯一必要なことは、「直知」することだけです。「叩けよさらば開かれん、求めよさらば与えられん」この言葉は決してあなた以外ではなくあなた自身の内なる神に対して行わなければなりません。「神は汝の手や足より近く、最も近いものよりも近い」のですから。「私が15歳のとき、聖杯伝説を読んで以来、それは私にとって、もっとも重要なことになったのである。聖杯伝説の背後には、大いなる秘密が隠されていることを感じ取ったからである」   カール・ユング

霊性を高め、意識の波動を上げること、それはこの世で幸せに生きる知恵でもある。味方と敵とを区別したり、善人と悪人を別け隔てしたりしないようなタイプの“愛”