• 善悪の価値判断を放棄する。

○.善悪まるごとあらゆる体験をすることが神(神我)の目的(第九話)。つまり、神の分身(分け御魂)である人類の重要なミッション(使命)は、未知なるものを既知にし、叡智を蓄積すること。そのために、あらゆる体験(冒険)が出来るように自由意思を持っている。新たな感情や気づきをもたらす。

○.余談はさておき、意識を覚醒する為のキ-ワ-ドは「許し]です。イエスキリストの教え「汝の敵・隣人を愛しなさい」と言い換えてもいい。本音が大事なので努力や我慢ではだめ。逆効果であり、偽善になる。成果を当てにするエゴになる。

○.過去の不調和な記憶(観念・信念・教義(ドクマ))に囚(とら)われ、「ねばならない・すべき」という善悪の価値判断に執着している限り、自動的に、自己を裁き、他人を裁き、許すことができません。隣人を愛すこともできません。対立、争い(戦争)の原因になる。

○.自分自身を許し、他人を許し、隣人を愛す為には不調和な記憶(観念)を浄化し、善悪の価値判断を放棄する必要がある。

○.善悪の価値判断の禁止は、聖書の「エデンの園の物語」にも記述されています。主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(旧約聖書・創世記2の16~17)つまり、善悪の価値判断(観念)に執着している状態は、肉我(闇)が神我(光)に打ち勝っている状態です。自己の神性を忘れ、罪人(肉我)になっている状態です。神(神我)なる意識は、善悪の価値判断をしません、森羅万象を「あるがまま」に受け入れている意識。

○.宇宙には他人のせいで起きる出来事はありません。全ての体験は神なる自己が引き寄せた体験。「まいた種は必ず刈り取って体験する」というカルマ(作用・反作用)の法則。

○.従って、宇宙的視点からは、どんな理不尽な体験も、過去・前世にまいた種(自分の思考により創造)を刈り取っていると納得し、善悪の判断を放棄し、「お互い様」という心の姿勢で、「許す・ありのまま受け入れる」ことが運命を好転させるコツ。神を恨んだり、他人のせいにし批判したり、被害者意識に注意が必要。

○.相手を許さなければ作用・反作用のカルマの連鎖によって、永遠に苦しい体験を繰り返すことになる。(現実から逃げて、会社を辞めたり、自殺することなど)

○.このような宇宙の仕組みを理解して初めて、イエスキリストが「人を裁くな」(ルカ福音書6-37)「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタイ福音書5-39)と言ったことが納得できるのです。