- 他人に魂を預けない。
○.他人を含め、何かに依存したり、隷属した生き方をすると、責任転嫁と被害者意識が強まり、進化成長が遅れます。
「依存・隷属」と「批判・拒否」は表裏一体、本質的には同じこと。二元的な分離意識。
○.責任転嫁と被害者意識を強めるということは、自己が創造主(神)であることを否定することになるので、神業(知恵と力と勇気)を発揮できなくなります。
○.何かに依存したり、隷属した生き方をすると、他人に翻弄され、苦しい人生になります。
○.自立自己責任・積極的な意識状態(進化意識)で活動するとき、人間は最大のパワ-を発揮することが出来ます。
○.一方、消極的(受動的・依存的・隷属的)な意識状態で活動するとき、人間は最小のパワ-しか発揮できません。いやいやながら活動すると、心も体もボロボロになります。
○.スピリチュァルな教えの中に、「委(ゆだ)ねる」という言葉があります。「委ね」と「依存]は区別して考えた方がいいと思います。「委ね」とは、自我意識で思い悩むことをやめて、神(神我・魂)や聖者に委ねるという意味で使用します。
他力(たりき)や惟神(かんながら)と同じ、心の声・良心(宇宙意識・神我)に従っているとワクワク感や喜び・至福を感じる。心配や恐れがない。
○.自我(エゴ)意識で神(神我・魂)に御利益を求めるのは「依存]。成功者の体験談を盲目的に信じ、真似ることも同じ。
※心を静め無我・無心状態で神(神我・魂)に意識を向けるのは「委ね」と言ってもいいと思います。
※心を静め無我・無心状態で神(神我・魂)に意識を向けると高次元のエネルギ-と共鳴共振し、潜在意識に蓄積した不調和な記憶(信念・観念・執着)が浄化され、意識が覚醒します。
※自我意識で不調和な記憶(信念・観念・執着)を浄化することは出来ません。
※親鸞聖人は、自我意識で唱える念仏を「自力本願」と言って戒めています。心を静め無我・無心状態で唱える念仏を「他力本願」と言って、推奨しています。
○.聖者(グル)に委ねるか、魂(神我)にダイレクトに委ねるか、各人の直観で選択すればいいと思います。私は、魂(神我)にダイレクトに委ねるのが好きです。宇宙のデ-タバンクである魂に全ての答えがあります。
○.私の経験から確信を持って言えますが、内観・瞑想しながら徹底的に洞察すると何かしらの答えを得ることが出来ました。魂にアクセス(内観)するとアンテナを立てたことになるのだと思いますが、インスピレ-ションが湧いてきたり、必要な人や情報(書籍)に出会ったりしました。
魂の想いに従って考え、行動すると、「知恵・力・勇気」に満たされる。(ワクワク感・喜び・至福)
○.魂の性質は自我(エゴ)意識ではありません。
○.魂の性質は全体(神我)意識です。従って、魂は全知全能です。
○.ここでは、魂の想いに従って考え、行動する方法を3つ紹介します。
(1)第四七話でお伝えしたように、人は大義(全体・宇宙意識・進化意識)の為に行動する時、「知恵と力と勇気」に満たされ、充実した人生を送ることが出来ます。死をも超越できるほど勇敢になれます。
(2)魂(soul(ソウル))の想いと、心(mind(マインド))の想いを一致させて考え、行動すると、「知恵と力と勇気」に満たされ、充実した人生を送ることが出来ます。一方、魂の想いと、心の想いがズレると、心に葛藤が生じ、苦しい人生を送ることになります。
(3)人は生きていく中で、いくつかの選択肢の中から一つを選択しなければならない状況に直面することが数多くあります。
※その際、魂がワクワクすることを選択していくと、「知恵と力と勇気」に満たされ、充実した人生を送ることが出来ます。「好きこそ物の上手なれ」の諺(ことわざ)どおりに生きる事が出来ます。関心・興味・好奇心が大事。進化・成長することを目指す。自己保存・現状維持・エゴの欲求・打算・価値判断・損得勘定などは逆に退化意識。
※一方、自我(エゴ)のワクワク(打算)で選択すると、必ず苦しい体験をすることになる。魂がワクワクすることは「全体」のため、自我(エゴ)がワクワクすることは誰かを「犠牲」。分離意識。「魂がワクワクすることを選択する」。