誰もが、自分自身を納得させるために、コノ世に生まれている。自分を納得させる為に、自分の本心(真我・内在神)は生きている。

生きている最中の今は、他人を納得させる為に生きている。(自我)・他人の視線の為に生きている。(自我)

この生き方ですと、(叶えられない、叶わないことが多い・何をしても、虚しい。)こういう悪循環が有ります。

自分の心が向く視線を、外向きから自分自身の内面へと切り替えることが大切です。でも、他人を意識しなくなれば、余計にダメな人間に成らないか?これは、常識やエチケットを守っていれば問題はないです。人の生活の大半は、「独り言」の中で誰もが生きています。この長い時間帯を、他人を意識した、外向きへの独り言では無くて、自分の内面を静観すること。観察すること。「自分が思う内容を、静観すること」 「どうして今の自分はそう思うのだろうか?」「それは、自分の良心に叶うことなのか?」と静観すること。自分の内面に向かって、「それでも生きている自分に」向かって感謝をして行くこと。先祖(遺伝子の集合体)に感謝すること。このようにして、自分の心の内側にベクトルが向けば、実際に起こる現象は逆に、外側の世界へと影響力を持つ霊的な真相があります。思いが叶いやすく成る。こういう面が霊的に言えます。外に向けてばかり力んで祈願しても、何も変わりません。これはムダに漏電しているだけです。ところが、頼りないと思い込んでいる自分の内面に、注目する、感謝することで、思わぬ副産物が付いて来ます。

・ 何気なく、「こうなれば良いな」という内容が、自然と実現して行きます。まるでコノ世はメビウスの輪のようです。見せ掛けのコノ世では、逆に成るのです。思いは、反転する(心の中を映し出すスクリーンであり、鏡の世界=すべては自分の内にある)のです。そして大切なことは、自分の思いが実現しようが、ダメであろうが、誰もが、自分自身を成仏させる為に生まれています。自分を成仏(納得)させる為に生きている最中です。これを忘れなければ、大丈夫です。軽やかに、爽やかに、生きて行くことが可能です。今日も、自分が納得するように、生きて見ましょう。自分に内在する評論家(自我)も、自分の本心(真我・内在神)も、なかなか納得しません。満足もしません。先ず、他人ばかり見ている自分の評論家(自我)を減らして行きましょう。自分を赦し・他人を赦し・すべてに感謝する。自分の中の欲求・執着を満たすことで納得する。すべてが思い通りに行くことが目的ではなく、やりたいと思った事をすることに意味がある。すべてやってみることで納得する。執着から解放される。もとは単純な欲求や好奇心だけだったのに物事を複雑に考えるようになり迷宮に迷い込んでしまった。すべて自分の心が創り出した現実なのに他人の所為(せい)にばかりにしている。